2012年03月05日

上原彩子よりチャリティコンサートへ向けてのメッセージ

震災から間もなく1年。
3月10日、東日本大震災 復興支援コンサートを開催いたします。
上原彩子はラフマニノフの2台のピアノのための組曲第2番より 第3、第4楽章を河村尚子と弾きます。




そして一歩前へ…!
音楽の力で復興を
東日本大震災 復興支援チャリティコンサート

2012年3月10日(土)14:00〜 東京オペラシティ コンサートホール
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公演の詳細はこちらから
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2012年03月01日

【速報!】金子三勇士が第22回出光音楽賞を受賞!!

 主にクラシックの音楽活動を対象に、育成という観点から意欲、素質、将来性などに重きをおき、原則30歳以下の新進の音楽家を顕彰する出光興産株式会社主催の音楽賞「出光音楽賞」をピアニスト金子三勇士が受賞いたしました。
今後とも研鑽を積んでまいります。ぜひ今後の活動にもご注目ください。
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≪金子三勇士(ピアノ)≫
1989年、日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。
6歳で単身ハンガリーに渡りバルトーク音楽小学校にてハンガリーのピアノ教育第一人者 チェ・ナジュ・タマーシュネーに師事。1997年と2000年に全国連弾コンクール優勝、2001年には全国ピアノコンクール9〜11歳の部で優勝。
2001年、飛び級(11歳)で国立リスト音楽院大学ピアノ科に入学、エックハルト・ガーボル、ケヴェハージ・ジュンジ、ワグナー・リタ に師事。
2006年、日本に帰国、東京音楽大学付属高等学校に編入し、清水和音、迫昭嘉、三浦捷子に師事。
2010年10月にリリースされたデビューアルバム「プレイズ・リスト」はレコード芸術誌の特選盤に選ばれた。2011年第12回ホテルオークラ音楽賞を受賞。
2012年第22回出光音楽賞を受賞。これまでに、小林研一郎指揮/読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団(現日本センチュリー交響楽団)、下野竜也指揮/京都市交響楽団などと共演。海外ではハンガリー、アメリカ、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス、ギリシャ、ルーマニア、チェコ、ポーランド、中国などで演奏活動を行なう。現在東京音楽大学ピアノ演奏家コースエクセレンス4年在籍中。

【金子三勇士 情報】
金子三勇士 ジャパン・アーツ 情報ページ
金子三勇士 オフィシャルホームページ
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2012年02月28日

「デビュー20周年記念公演 横山幸雄 3大ピアノ協奏曲の夕べ」プログラム・ノート

 横山幸雄がどんなことを試みようと、もうたいていのことには驚かない。プロフェッショナルなピアニストとして20年間の歩みのなかで、彼は驚くべき挑戦を自らに課しては、その成果を克服というよりもむしろ当然という姿勢で聴衆に示してきたからだ。かつてスヴェトラーノフのピアノ協奏曲に暗譜で臨んだことにも驚かされたし、最近では昨年5月にはショパンのピアノ独奏曲の連続演奏に取り組み、18時間にわたり全212曲を暗譜で演奏したことも大きな話題となった。また、2010年10月のショパン忌から、自ら教授として関わる上野学園の石橋メモリアルホールで、ショパンのピアノ独奏曲全曲演奏会を進行し、併せてレコーディングした12タイトルの全集も昨年末に完結させて、音楽家としての充実した進境を示した。
 さて、デビュー20周年という記念すべきシーズンのしめくくりに、横山幸雄が臨むのが時代を画す3つのピアノ協奏曲の演奏会だ。信頼の篤い小泉和裕の指揮、盟友といってよいだろう矢部達哉をコンサートマスターとする東京都交響楽団との共演が組まれている。チャイコフスキーの野心作から、ラフマニノフの大傑作へ。史上最強のコンポーザー=ピアニストのひとりであるラフマニノフへの第3番には、自らも作曲を手がける横山幸雄の敬愛も並々ならぬものがあるに違いない。その間で、ラヴェル晩年の美しい成果が、ロシアのロマン派音楽とはまた異なった夢をみせる。
 こうして、ピアノ音楽が輝かしい豊穣を誇った、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの黄金時代の名曲が選ばれたが、それぞれの様式も要求されるピアニズムも異なっている。協奏曲のソリストとしても豊富な経験をもつ名手だからこその、安定した技巧に導かれて、多彩な世界が拓かれていくことだろう。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 op.23
 ロシアに西欧音楽が導入されたのは18世紀に入ってからで、ロシア固有の情緒と近代ピアノ奏法が魅力的に融合するのは、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜93)の創作においてだった。1874年秋からピアノ協奏曲という未知の分野に取り組んだ新進作曲家は、名手として知られるニコライ・ルビンシテインに独奏パートに関して助言を求めたが、演奏不能だと激しく酷評される。「ピアノ・パートは絶対に弾けないし不器用で陳腐」という先達の批判に対し、「一音だって変えない」とチャイコフスキーは反抗した。しかし初版以降は多くの部分が修正されて、今日に伝えられている。そして、曲は献呈先ともなるハンス・フォン・ビューローが「すべてのピアニストの感謝に値する作品」、「非常に難しいがその価値はある」とみなして練習に励み、1875年にボストンで初演、ニューヨークでも大成功を収めた。78年以降はルビンシテインも愛奏し、友情は回復した。
 ウクライナ民謡やフランスのシャンソンの引用も含み、力強くまた情緒の面でも魅力的な場面に富むこの曲は、表現意欲、内容と、構成や書法との間に未消化な部分を多分に残しつつも、抒情味と技巧性を併せもつ。ヴィルトゥオーゾたちの技巧を強度に引き出す豊かな表現効果を抱き、19世紀的なピアニズムのひとつの象徴として、今日まで燦然たる輝きを誇っている。曲は3楽章からなり、アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソの長い導入部に続くアレグロ・コン・スピーリト、アンダンティーノ・センプリーチェの第2楽章を経て、アレグロ・コン・フオーコで情熱的にしめくくられる。

ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
 フランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875〜1937)は、明快な形式を愛した古典主義者で、完成作品としては最後から2番目にあたるこのピアノ協奏曲でもト長調を採ったように、モダニストでありながら調性を重視した。ラヴェルは卓抜なピアニストとは言えないまでもピアノを愛奏し、鍵盤上で作曲しただけでなく、新しい様式が拓かれる契機の多くをピアノ作品に顕している。フランスのクラヴサン音楽の伝統と、ショパンやリストのロマン派的色彩を融合した先に、ラヴェルは独自の明晰な世界を築いていった。
 1929年から、「左手のための協奏曲」ニ長調と並行して書かれた、このト長調協奏曲は31年に完成。翌年1月にマルグリット・ロンのピアノ、作曲家自身の指揮するラムルー管弦楽団がパリのサル・プレイエルで初演した。「モーツァルトとサン=サーンスの精神をもって」作曲されたというが、ストラヴィンスキーやガーシュインに通じる魅力もある。肥大化していく後期ロマン派の豊穣とは異なり、古典的ともいえる室内楽的な書法をとるなかに多彩な要素を鏤めた、ラヴェル一流の美学が鮮明に結実している。
 曲はアレグラメンテ、アダージョ・アッサイ(ホ長調)、プレストの3楽章構成。ラヴェルの母方のルーツであるバスクやジャズを想起させる要素もまじえて、鮮やかな生命感と詩情に彩られた20世紀前半の名作である。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調 op.30
 セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943)は、2つの世界大戦を含む激動の20世紀前半を代表するヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして名高いだけでなく、ロマン派音楽の豊穣を体現した作曲家として後世に多くの果実を遺した。
 モスクワ音楽院の卒業制作として書かれたオペラ《アレコ》がチャイコフスキーに絶賛された期待の新鋭は、1897年に意欲作の交響曲第1番の初演が酷評されて、大きな精神的ダメージを受ける。精神療法も受けながら、作曲家としての自己を回復したラフマニノフ改心の作が、1900年に着手、翌年に初演をみたピアノ協奏曲第2番ハ短調だった。以降、交響曲第2番などに湧き立つ創作意欲をみせた作曲家が、1909年、「アメリカのために作曲した」のがこの史上の傑作、ピアノ協奏曲第3番ニ短調である。
 1909年秋からのコンサート・ツアーのために初めてアメリカに渡ったラフマニノフが、11月28日のニューヨーク初演に向けて準備したこの作品は、同地で熱烈な歓迎を受けた。翌10年1月16日にはグスタフ・マーラー率いるニューヨーク・フィルハーモニックとも共演された。ロシアの民族的色彩とロマン派の豊穣な感情表現が独自の洗練味をもって結実し、華麗な技巧を駆使しながら、壮大な交響曲的な充実をみせる難曲である。ロシア革命の政情不安を逃れ、1918年以降はアメリカに定住したラフマニノフの代表的な演奏会レパートリーとなった。ラフマニノフを「鉄の指と黄金の心をもった人物」と崇拝するヨーゼフ・ホフマンに献呈されたが、彼の手には余ったようで実演はなされなかった。
 曲は、アレグロ・マ・ノン・タント、インテルメッツォ(アダージョ)、フィナーレ(アッラ・ブレーヴェ)の3楽章構成。両端楽章が自由なソナタ形式をとり、主題的な関連をもつなかに、エピソードを挿む自由な変奏曲が置かれている。ラフマニノフが好んだ鐘の響きも印象的だ。ピアノとオーケストラが緻密に織りなす壮麗な響きのなかに、郷愁や情熱、陰翳や輝きに充ちた豊かな感情が鮮やかに息づく。

青澤隆明(音楽評論)


デビュー20周年記念公演
横山幸雄 3大ピアノ協奏曲の夕べ

2012年2月28日(火) 19時開演 サントリーホール
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2012年02月27日

メルニコフ「アフターパフォーマンス・トーク」レポート

2月26日(日) 注目の公演! アレクサンダー・メルニコフ 「ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ」が浜離宮朝日ホールで行われ、満場のお客さまから喝采を浴びました。
終演後に、音楽評論家の那須田務氏をナビゲーターに、メルニコフ氏を迎え「アフターパフォーマンス・トーク」を開催いたしました。その時の様子をご報告いたします。

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Q: メルニコフさんは「ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ」全曲を1日で演奏してくださり、私たちは非常に感銘を受けたのえすが、この1日で全曲を演奏することについて、メルニコフさんの意図をお聞かせください。
メルニコフ:
ショスタコーヴィチは、この作品を部分的に取り上げて演奏しても良いと言っていますが、私はこの作品をまとめて演奏し、まとめて聴いていただいた方が、この作品の素晴らしさがより伝わるように感じています。現に最近日本に来る前にも何度か、全曲を1日で演奏してきました。これは世界的に見ても初めてのことだと思います。

Q:24曲を前後2つ(12曲ずつ)でなく、
三つの部分に分けて弾いている意図をお聞かせいただけますか?
(第1部:第1番〜12番、第2部:第13番〜16番、第3部:
17番〜24番)
メルニコフ:24曲の中で、特に15番と16番がそれ以外の曲と違い個性的だからです。特に、15番の前奏曲は非常にモダンな音楽です。まるで1920年代のストリート・ミュージックのように感じることさえあります。それと対照的に16番はバロック以前の音楽のような作風で、この2曲は突出しています。その為、16番までを演奏したところで一区切りつけたのです。

Q:ショスタコーヴィチは彼が生きていた時から、同時代の人々から、その後の研究家たちなどから、いろいろな評価をされていますが、ショスタコーヴィチの作品全般について、メルニコフさんご自身はどのように感じていますか?
メルニコフ:
ショスタコーヴィチの作品については、実に様々な解釈がされてきましたし、現在でも多くのことが言われています。政治との関係、ソ連時代という世の中での評価と、ロシアになった今の時代の中での評価も変わってきています。しかし、私の使命は、彼に関するさまざまな意見から「作品を独立させる」ということにあります。ショスタコーヴィチ自身は全く政治的な人間ではなかったのです。そしてショスタコーヴィチの「作品そのものが全てを語っている」ということをお伝えしたいと思います。
 ロシアにおいてもロシア以外においても、彼の作品については色々な政治的な解釈がまかりとおり、誤解を生んできたのは、『ショスタコーヴィチの証言』(1979年に、ロシア人音楽学者ソロモン・ヴォルコフによって書かれた本。ショスタコーヴィチの作品はソ連当局を告発し、反体制運動を支持する意図を隠すものであったとされている。)に最も影響されてきたためだと思います。私は、彼の友人が書いた著作と、彼の書簡集を最も信頼しています。そこの中でも、ショスタコーヴィチは「表現したいことは全て音楽によって表現している」ということです。

Q:この作品を演奏するにあたって聞いた録音を教えていただけますか

メルニコフ:全曲を演奏したいと思ってから、全ての録音を聴きました。私が最も気に入っているものは、ショスタコ−ヴィチ自身が演奏した録音です。他にもイザベル・ファウストとヴァイオリン・ソナタを録音する前に、ショスタコーヴィチのピアノ、オイストラフのヴァイオリンによるものを聴きました。ショスタコーヴィチはかなり高齢でしたし、オイストラフは初見という状態でしたし、さらに家庭での演奏を録音したというもので、十分な技術が駆使されたものではありませんでしたが、僕たちはその演奏に心が惹きつけられました。そこにはショスタコーヴィチの言いたいことの真の部分がありました。それと同じことをショスタコーヴィチが弾いた「24の前奏曲とフーガ」の録音にも感じたのです。

Q:24曲の中で、技術的に一番難しいもの、最も簡単だったものを教えていただけますか?
メルニコフ:テクニック的に難しかったものは12番と15番ですね。簡単な曲は・・・ニエット!ありません(笑)。

Q:メルニコフさんの楽譜は、蛍光ペンで色が塗られてカラフルですが、その意図は・・・。
メルニコフ:24曲中、1曲を除いてすべての曲の中で、対位法が駆使されており、それを明確に意識するために行いました。もちろん本番は、ほとんど譜面を見ることはありませんけれども!

Q:その例外的な1曲は何番ですか?
メルニコフ:第22番です。この曲は、ショスタコーヴィチが意識して、自分の独自のもの、存在意義を示すために彼自身の表現方法を示しているところだと思います。

Q:メルニコフさんの演奏は、ダイナミックな大きく強い音から、ペダルを3つ同時に踏む・・・などという工夫もされ出されていた)天国的な美しい弱音まで、本当に多くの音色を演奏されていました。その秘訣を教えてください。
メルニコフ:日本はさまざまなことに長けた国で、私はとても尊敬しています。今日演奏したピアノを調律をしてくださった外山さんも、そのような人に連なると私は思います。この「24の前奏曲とフーガ」という驚異的、超人的で非常に長い作品を、皆さまに飽きずに(!)魅力的に聴いていただくためには、ひとつひとつの音を魅力的に、工夫をして演奏する必要があったのです。今日の公演を楽しんでいただけたのでしたら、それは素晴らしいピアノ、長いコンサートを集中して聴いてくださった聴衆の皆さんのおかげです。

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メルニコフさんが着ていたTシャツには「Op. 87」の文字が!
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2012年02月21日

アレクサンドル・メルニコフ公演レポート(2月21日武蔵野市民文化会館)

2月21日、注目の公演 アレクサンドル・メルニコフ 「24の前奏曲とフーガ Op. 87」 が武蔵野市民文化会館で行われました。

メルニコフ渾身の演奏−。
終演後、客席はスタンディングオベーションになり、大きな深い感動につつまれました。
公演を聴いたスタッフのレポートをお届けします。

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アレクサンドル・メルニコフによるショスタコーヴィチの「24曲の前奏曲とフーガ」全曲演奏会(武蔵野公演)。
もともと全曲を収録したCDが、タチアーナ・ニコラ―エワ以来の完成度!と世界的に認められたメルニコフ。
生(ライブ)の演奏会も、想像を遥かに超える、圧倒的な感動をもたらす公演でした。
2回の休憩をまじえて合計3時間近い作品ともなると、弾き手はもちろんのこと、聴き手も体力的、内容を受けとる精神力が求められます。(バッハの平均律とほぼ同じ形で、調性を順番に遡り、下ってくる長大な作品ですが、この聴きどころはメルニコフによるCD解説や、下記をお読みいただき聴いていただきますと、非常に参考になります。

http://www.japanarts.co.jp/html/2012/piano/melnikov/index.htm

演奏は2回の休憩をはさんで行われますが、第12番(1回目の休憩の直前)に向かって、フーガがどんどん追いつめられるような極端な内容になっていくところ、2回目の休憩の直前に並ぶ第15番、第16番の対比。
そして誰もが絶句する迫力と深淵さを兼ね備える最後の24番のフーガ。
前半の12曲は起伏に富み、ショスタコーヴィチの語り口に導かれ、扉がどんどん開かれ一曲一曲興味深く聴き入り、もちろん後半になると、もっと深い世界へとどっぷりとつかっていくようになります。

ショスタコーヴィチの多くの作品とは異なった“小宇宙”を、メルニコフの深い洞察と豊かで繊細な表現、幅広いダイナミズムで語り尽くしていくのですが、メルニコフの演奏は、コンサート会場のどこかでショスタコーヴィチも聴いてるような、そんな気持ちも残してくれるのです・・・。
単純に「美しい」とは言いきれない、深い苦悩や絶望のようなものが純化され突き詰められた境地とでもいうような、これまでに感じたことのない厚みのある感動が心に残りました。

メルニコフの才能の厚み、そして将来に向けた途方もない潜在能力を感じさせる演奏。
商業主義には背を向けつつ、音楽に対する情熱と努力を惜しまず自分の道を歩み続けるメルニコフの“記念碑的な演奏会”にご注目ください。



アレクサンドル・メルニコフ ピアノ・リサイタル
2012年2月26日(日) 13:00 浜離宮朝日ホール ジャパン・アーツぴあ 03-5774-3040
2012年2月25日(土)15:00 電気文化会館(名古屋) 同左(052)204−1133
曲目
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ 
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公演の詳しい情報はこちらから

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“24の前奏曲とフーガ ”について、メルニコフとチェンバロ・フォルテピアノ奏者のアンドレアス・シュタイアーの対談

ピアニスト、アレクサンドル・メルニコフとチェンバロ奏者・フォルテピアノ奏者のアンドレアス・シュタイアーの対談。 
※アンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier, 1955年9月13日 - )は、ゲッティンゲン出身のドイツのチェンバロ奏者・フォルテピアノ奏者です。

メルニコフ:長調のフーガでは、テクニックにかんして明確に言えることがあります。これは単なる偶然ではありませんが、お互い相容れない主題を実験的に取り扱っています。この主題もあり、あの主題、中世の様式、拍子記号のないものもあります。
まったくショスタコーヴィチようには聞こえないでしょう。
別の例を挙げてみましょう。長三和音を弾いてみますね。これは普通のフーガの主題とは言えないでしょう。
様式的に重要だと思われるのは、最大限にフーガの主題を変化、多様化させようとしたということでしょう。バッハの影響は大きいものですが、すべてがバッハの影響というわけではありません。
ショスタコーヴィチの社会的位置づけを考えてみましょう。反体制派であるか、そうでないか。ユダヤ人という問題と音楽とを切り離して考えることはできませんが、彼自身はユダヤ人でないものの、彼にとってユダヤ人は身近な存在でした。例えば彼の親友だったイワン・ソレルチンスキーはユダヤ人でした。
プレリュードとフーガの作品の中には、まさにクレズマー(東欧のユダヤ人たちがお祝いの時に奏でる音楽)の主題と同じものがあります。ヘ短調のものですが・・・
これはもちろんショスタコーヴィチの社会的位置づけの一部であり、彼の「市民」としての存在によるものであるでしょう。

シュタイアー:プレリュードとフーガは、自分自身のために作曲されたのであって、政府に対しての怒りでもなく、形式主義的に対する傾倒でもなかった、ということですね?
メルニコフ:全くそのとおりです。ショスタコーヴィチの作品を見ても、そして私たちも自問することでお分かりになると思いますが、社会的アジェンダの表出といったことは、この作品に関してはないのです。

シュタイアー:
ショスタコーヴィチは反体制派だったと思いますか? 分類などできないので、これは愚問でしょうか
メルニコフ:彼は反体制派ではありませんでした。いわゆるロシアの「インテリゲンツィア」でありました。崇高な「モラル・スタンダード」の血を受け継いでおり、人々にたいしてそしてロシアという国家が抱えていた社会的状況にたいして責任を負っていると感じていました。
ですから自ら反体制派というコンテクストに身を置くということはありえませんでした。もちろん、ショスタコーヴィチはこうした問題に常に直面していました。作曲家としてもです。
かなり確信はあるのですが、次のように考えたいです。ショスタコーヴィチが最大限にそうした責任を果たそうとしたことは、彼自身の作曲家としての人間性による決断ではなかったと思います。実のところ、余裕もなかったであろうし、やりたくもなかった。しかし彼は極めて正直で、極めて高徳な人間であり、そしてロシアの運命に大変苦しめられた人間であったと思います。
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アレクサンドル・メルニコフ ピアノ・リサイタル
2012年1月15日(日) 14:00 浜離宮朝日ホール
曲目 ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ 
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公演の詳しい情報はこちらから

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2012年02月15日

牛田智大 ピアノ・リサイタル急遽決定!

本格的デビュー公演 急遽決定!
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史上最年少CDデビュー!(クラシック日本人ピアニスト) 

「題名のない音楽会」をはじめ、テレビでも一躍話題。

そして20122月、第16回浜松国際ピアノアカデミー
コンクール第1位に輝く



7月17日(火)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
3月31日(土)前売開始決定!

この公演のチラシが出来ましたらお送りいたします(3月中)。
ご希望の方は下記ボタンよりご登録ください。
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【お問合せ】 ジャパン・アーツぴあ 03–5774–3040
主催:ジャパン・アーツ  協力:ユニバーサル ミュージック
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コンスタンチン・リフシッツ【特別インタビュー】

−「フーガの技法」はあなたにとって特別な作品だと思いますが、どのようなことを聴衆に感じて欲しいと考えますか。

 「確かに私にとっては大きな意味のある作品です。コンサートのプログラムというのは、演じる側から聴く人々への“語りかけ”です。本を読むとき、ページをめくるごとに出来事が転回していくように、フーガが多様な変化を繰り返していく。弾きながら私が感じていくその移ろいを、聴衆の皆さんにも感じていただければと思います。」

−「フーガの技法」について、学術的で固いイメージを持っている方が多いと思います。聴衆としてこの作品を楽しむポイントを教えていただけますか。

 「《フーガの技法》は高くそびえ立つ山。簡単には最高峰に登りつめられない。聴くのも難しいし、演奏家にとっても難曲です。それだけに、これぞと思う音色や美しさが見つかった時は大きな満足を得られます。日本で弾いてみたいとずっと願っていました。「フーガの技法」は日本の伝統芸能である「能」を髣髴させるのです。とても日本の人々に近いイメージがあります。ただ、日本の音楽の捉え方は、我々ヨーロッパ人の予測とは違うことがよくあります。反応を予測するのは難しいです。」

−日本では大地震、ヨーロッパでは経済状況の悪化など、世界中が難しい状況にあります。このような状況下での音楽家の使命をどのようにお考えになりますか。

「日本は昨年3月に本当に大きな悲劇におそわれました。そのような時こそ人はより音楽を求めるような気がします。大変な状況にある時ほど、音楽の果たす役割は大きくなります。そう考えると、私たち音楽家は、いつになく大きな責任を担うことになります。ロストロポーヴィチは、「音楽は美の兵隊だ」と言いました。世界が厳しい状況にあり人々が悲しい出来事に見まわれた時に、音楽を始め、芸術の力が救いになれると思います。そのような自覚を持ってステージに立たねばなりません。
 何らかの形で、少しでも貢献したいと思っています。」


≪公演情報≫2012年3月15日(木) 19:00 紀尾井ホール
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詳しい公演情報はこちらから

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2012年01月30日

リフシッツのバッハについて(コンスタンチン・リフシッツ ピアノ・リサイタル曲目解説)

 コンスタンチン・リフシッツはロシア生まれ。幼少から天才ピアニストとして、モスクワでは常にもう一人の年上の天才、キーシンと並んで天才振りが話題となりました。20代からは、演奏活動の他にイタリアのコモ湖畔での講習会や英国にも行き来して巨匠達から更なる教えを受けていました。ベルリンを経て現在はスイスに居を構えています。
 リフシッツのバッハと言えば、先ず思い起こされるのは10代後半でゴールドベルク変奏曲のCDがリリースされて、アメリカでグラミー賞にノミネートされたことです。グレン・グールドの最初の録音であるゴールドベルク変奏曲よりも若くしてリリースされ、ニューヨーク・タイムズから「グールド以来、ピアニスティックに最も力強い演奏」と絶賛されたのです。
 その後ピアニストとしての評価はバッハ以外の作品でも着実に高まり、アルゲリッチがクレーメル、マイスキーと組んで行う予定のピアノ・トリオのヨーロッパ・ツアーがアルゲリッチの急病でキャンセルになりかけた時に、クレーメル、マイスキーから指名されて
立派に代役を果たしてさらに名を挙げたこともありました。また、故ロストロポーヴィチと東京で初共演して、彼をして「君は本当に天才だ」と言わしめ、その後多くの共演を重ねました。また、ベルリン・フィルのコンサートマスターの樫本大進が、兼ねてからリフシッツを大変尊敬していて、数年前から共演していることは良く知られています。
 最近は、オルフェオ・レーベルから立て続けにバッハの素晴らしい録音がリリースされています。「音楽のささげもの」、今度演奏する「フーガの技法」、そして最新のものがピアノ(チェンバロ)協奏曲集です。どれもが珠玉の光を放つような魅力に溢れています。

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J.S.バッハ(1685-1750):フーガの技法(全曲)について
柿沼 唯(作曲家)

 「バッハは、バッハ(ドイツ語で “小川 ”の意)ではなくてメーア(“大海”の意)という名であるべきだった」と言ったのはベートーヴェンであるが、この言葉は、ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽の果てしない広大さと深さ、そして西洋音楽史におけるその位置づけを言い当てていて面白い。バッハ以前の様々な音楽を幾多の河にたとえるならば、それらが一つに合流する大海こそまさしく、バッハの音楽といえるからである。
 生涯を教会音楽の作曲に捧げたバッハだが、その創作はさらに、多くの器楽作品へと及ぶ。興味深いのはそれらがある特定の時期に集中的に作曲されていることで、その理由の一つはバッハの身近にあった楽器のためといわれている。ケーテン宮廷楽長時代に、バッハは自らの設計で注文した新しい高価なクラヴィーアを手にしたが、<平均律クラヴィーア曲集>をはじめとするバッハのクラヴィーア曲のほとんどはこの時期に生み出されている。そしてワイマール時代にオルガン曲が多いのも、当時自分の設計で改造したオルガンに熱中したためといわれている。楽器の性能を最大限に発揮させながら、同時代の音楽の様々なスタイルを融合させた多彩な作品を次々と生み出したバッハ。その音楽は現代においてもなお、新たな可能性を求めてやまない。
 そんなバッハ晩年の未完の大作<フーガの技法>は、同じく晩年の作品である<音楽の捧げもの>とともに、対位法芸術の粋を集めた音楽史上記念碑的作品として知られている。視力の衰えと闘いながら、最晩年のバッハは、生涯にわたってその技法に磨きをかけたフーガ書法のあらゆる可能性を追求すべく、この<フーガの技法>を起稿したのだった。残された19曲のうち、最後の長大なフーガは第239小節で中断され、その自筆譜には息子カール・フィリップ・エマニュエルの筆跡で、「対位主題にBACHという名が持ち込まれたところで、作曲者は死去した」と記されている。各曲はすべて、一つの主題とその変形に基づいて2〜4声で書かれたフーガおよびカノンだが、そこに楽器の指定はない(ただし最初の12曲に関しては、チェンバロ独奏を想定して作曲されたことが判明している。残りの曲については不明)。そのためあらゆる楽器編成での演奏が可能という特殊な作品となっており、その成立をめぐる研究も今もって定説を得ない、多くの謎をはらんだ作品でもある。
 この<フーガの技法>には、前述のようにバッハが究めた対位法の様々な作曲技法が盛り込まれ、数学的ともいえる巧緻な造形を生みだしている。それはあたかも、一つの数式が変形・展開され、その解が導かれてゆく過程を見るかのようだ。「主題」を様々に変形し、対位法の原則をあくまで守りながら、それらを組み合わせてゆく。その変形の仕方には、例えば次のような手法がある。

 [主題の変形]

 転回…音型を上下反転させる。こうして作られた主題を「転回主題」と呼ぶ。もし主題が上行音形であれば、「転回主題」は下降音形となる。

 拡大・縮小…音符の長さ(時価)を2培にする(拡大形)、または1/2にする(縮小形)。主題の原形と拡大形(あるいは原形と縮小形)が組み合わされることを「2種類の時価による」という。
 その他の変形…主題の一部の音価を変えたり(例えば「8分音符+8分音符」を「付点8分音符+16分音符」に変える)、音を加えたりする。こうして作られたものを「変形主題」と呼ぶ。
 こうのようにして様々に変形された主題を用いて「フーガ」と「カノン」が形作られてゆくのであるが、その種類も様々である。

 [フーガおよびカノンの種類]
 単純フーガ…1つの主題を原則的に形を変えずに用いたフーガ。その構成は、主題が複数の声部に順々に現れる「提示部」と、「提示部」から「提示部」への橋渡しをする「嬉遊部」とが交互に置かれる形で進み、終結近くでは「追迫」と呼ばれる主題提示の手法(前の声部が主題を終えないうちに次の声部に主題が導入される)が用いられる。

 反行フーガ…単純フーガとの違いは原形主題と転回主題をほぼ対等に用いることで、
最初の声部が原形主題を提示し、次の声部が転回主題を提示するといった形で進む。

 多重フーガ…
複数の主題を用いたフーガ。その主題の数に応じて「二重フーガ」、「三重フーガ」、「四重フーガ」と呼ばれる。バッハが好んだ構成は、最初の提示部では第1主題のみが提示され、続く提示部で第2主題を第1主題に組み合わせて提示する、といった形で進む。

 鏡像フーガ…転回対位法によって作られ、3声部または4声部で書かれたそのフーガの楽譜を鏡に映して上下反転させても対位法として成立する曲。もとの形を「正立形」、鏡に映したものを「倒立形」と呼ぶ。正立形がバスの主題提示で始まるなら、倒立形はソプラノによる転回主題の提示で始まることとなる。

 8度のカノン、10度のカノン、12度のカノン…「カノン」とは、二つの声部に同じ旋律をタイミングをずらして置いても不都合ないように作る対位法で、「輪唱」もカノンの一種。先行する声部に対して後続の声部がどんな音程で導入されるかによって「 8度のカノン」、「10度のカノン」、「12度のカノン」といった様々なカノンが考えられる。

 反行と拡大によるカノン…先行する声部の旋律の「反行拡大形」を後続の声部に置いたようなカノン。
 <フーガの技法>に収められた14曲のフーガには、ここに挙げた様々なフーガ書法が複合されて用いられており、時にそれは、きわめて難度の高い対位法的挑戦となっている。これらのフーガをバッハが敢えて「コントラプンクトゥス(対位法)」と名付けているのは興味深い。全曲の最後に演奏されるコラール前奏曲「われら悩みの極みにありて(汝の玉座の前に今や歩み寄り)」BWV668aは、バッハが死の床で口述筆記させたと伝えられる曲で、1751年にこの作品が出版された際に巻末に掲載されたものである。

コントラプンクトゥス1 原形主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス2 変形主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス3 転回主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス4 転回主題による単純フーガ(4声)
コントラプンクトゥス5 変形主題とその転回に基づく1種類の時価による反行フーガ(4声)
コントラプンクトゥス6 変形主題とその転回に基づく2種類の時価による反行フーガ(4声)
コントラプンクトゥス7 変形主題とその転回に基づく3種類の時価による反行フーガ(4声)
コントラプンクトゥス8 2つの新主題と変形主題による三重フーガ(3声)
コントラプンクトゥス9 新主題と主要主題による二重フーガ(4声)
コントラプンクトゥス10 新主題と変形主要主題による二重フーガ(4声)
コントラプンクトゥス11 2つ(3つ)の新主題と変形主要主題による三重(四重)フーガ(4声)

コントラプンクトゥス12a 主題の変形による鏡像フーガ(4声)正立形
コントラプンクトゥス12b 主題の変形による鏡像フーガ(4声)倒立形
コントラプンクトゥス13a 変形主題とその転回による鏡像フーガ(3声)正立形
コントラプンクトゥス13b 変形主題とその転回による鏡像フーガ(3声)倒立形
反行と拡大によるカノン(2声)1742年版自筆譜による異稿
反行と拡大によるカノン(2声)
8度のカノン(2声)
3度の転回対位法による10度のカノン(2声)
5度の転回対位法による12度のカノン(2声)
3つの新主題(第3主題はB-A-C-H)による未完フーガ(4声)
コラール「われら悩みの極みにありて」BWV668a


≪公演情報≫2012年3月15日(木) 19:00 紀尾井ホール
Lifschitz_flyer.jpg
詳しい公演情報はこちらから
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2012年01月23日

メルニコフの演奏について『ピアノ・リサイタル曲目解説』

 この曲の録音は、作曲家と直接に深い関係にあったタチアナ・ニコラーエワのものと、アシュケナージによるものとが定番と評価されていますが、メルニコフによる新しいCDはヨーロッパでは、ニコラーエワとは少し異なるアプローチによる演奏として非常に高い評価を受けています。
  「アシュケナージと肩を並べる腕前。聴くものが我を忘れて作品に没入してしまう。」(「ディアパソン」誌)とか、現実を超越した洗練された演奏で、アシュケナージ盤を超えるような名盤。この作品がピアノ曲の傑作であることを示してくれる、第1級の演奏家。」(「クラシカ誌」)などと、絶賛されています。
  日本でも「レコード芸術」誌では、「これほど詩情に溢れたショスタコーヴィチがあったろうか。」、「作曲家への切実で強烈な共感に満ち、それまでの演奏にはない柔軟さと共に作品の本質に深く切り込んでいる。」、「俊英メルニコフのディスクは・・・よく時宜を得た快挙だと言えよう。」と海外にも増して賞賛の言葉を得て同誌の特選盤に選ばれています。
 いずれにしても、彼の演奏を生で聴いていただければ、この曲の素晴らしさに直接に触れることが出来ると共に、この曲があなたのピアノ音楽の名曲のリストに新たに加わることとなることは間違いないと思います。
 そこで、どのような曲集であるのか、事前に解説をご用意しましたので、ご参考に供していただければ幸いです。



ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)
24の前奏曲とフーガOp.87(全曲)

 ショパン・コンクールで名誉賞を贈られるほどの優れたピアニストでもあったショスタコーヴィチ。だが、彼が作曲したピアノ曲は、意外にも数えるほどしかない。2曲のピアノ・ソナタ(そのうち<第1番>は音楽院時代の習作である)、初期の秀作<24の前奏曲>Op.34、そしてこの<24の前奏曲とフーガ>Op.87の他は、いくつかの小品集と、2曲の2台ピアノのための作品があるだけである。しかしこのことは、ショスタコーヴィチに強い影響を与えた音楽が、マーラーの巨大な交響曲であり、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲であり、またアルバン・ベルクの精緻な心理描写の音楽であったことを思い浮かべれば、容易に理解できる。いわゆるピアニスティックな演奏効果の追求よりも、骨太の書法による音楽語法の追究や「何を書くべきか」に心血を注いだショスタコーヴィチにとって、純粋なピアノ曲よりもたとえば室内楽のほうが、はるかに創作意欲をかき立てられるジャンルだったのである。この大作<24の前奏曲とフーガ>は、そんなショスタコーヴィチのピアノ曲の代表作としてまことにふさわしい作品と言えるだろう。なぜならば、これはショスタコーヴィチが多大な影響を受けたもうひとりの作曲家、バッハの偉大な作品への崇敬の念に端を発し、その限定された様式の中で自己の書法を錬磨するという、ある意味ストイックな、しかし果敢な挑戦が見事な実を結んだ、まさにショスタコーヴィチにしか書けなかったピアノ音楽だからである。

≪作曲の経緯≫
 ピアノ音楽の「旧約聖書」とも呼ばれるバッハの<平均律クラヴィーア曲集>に倣った作品を書こうとショスタコーヴィチが思い立ったきっかけは、1950年にライプツィヒで開かれた「第1回国際バッハ・コンクール」だった。バッハの没後200年を記念して開催されたこのコンクールに、ショスタコーヴィチは審査員として招かれ、連日バッハの作品を聴いてその作品の偉大さを再認識するとともに、優勝したタチアナ・ニコラーエワの弾く<平均律クラヴィア曲集>に特に鮮烈な印象を受けたのである。コンクールから帰国して間もない同年10月、ショスタコーヴィチは最初の前奏曲とフーガを書き始める。当初は自己の技巧の完成のための練習曲のつもりであったというが、ほぼ1日1曲のペースで断続的に書き進められるうちに、バッハと同様の、全ての調性を網羅した連作曲集へと構想は膨らんでいった。ショスタコーヴィチの速筆ぶりは驚くべきもので、10月10日にその第1番ハ長調に着手してから約4ヶ月半後の1951年2月25日には、24の前奏曲とフーガの全てが完成している。 その作曲は、第1番前奏曲(10月10日)、第1番フーガ(10月11日)、第2番前奏曲(10月12日)、第2番フーガ(10月13日)、第3番前奏曲(10月14日)、第3番フーガ(10月16日)、第4番前奏曲(10月22日)・・・ というように、曲集の配列通りの順序できわめて整然と行われた。また一曲完成する度に、ニコラーエワがショスタコーヴィチに弾いて聴かせたという。全曲の初演はニコラーエワにより、1952年12月23日と28日の2日間にわたって行われた。この初演以来ニコラーエワはこの作品のスペシャリストとしてこれをライフワークの一つとし、その全曲録音は3度にも及んだ。

≪作風≫
 ショスタコーヴィチの音楽を一言で語ることは難しい。しばしば論じられるのは、彼が生きた「ソヴィエト」というきわめて特殊な社会的状況に起因する作風の変遷である。ペテルブルグ音楽院の卒業作品<交響曲第1番>により華々しいデビューを飾り、ヨーロッパ中の注目を集めた若きショスタコーヴィチは、当時最新の作曲技法を吸収し、愉快な悪戯や機知に富んだパロディーも愛した才気煥発な青年だった。そんなショスタコーヴィチに転機が訪れるのは彼が30歳の時(1936年)、共産党の機関誌「プラウダ」が、同年初演のオペラ<ムツェンスクのマクベス夫人>を初めとする当時の彼の作品を「音楽の代わりの荒唐無稽」と断じ、「人民の敵」という烙印まで押して批判するという、厳しい現実に直面した事だった。自己批判を余儀なくされたショスタコーヴィチは、これ以後作風を一転させ、いわゆる「社会主義リアリズム」の路線に沿った作品を書き続けることとなる。特に1948年の「ジダーノフ批判」(ソヴィエトのほとんどの作曲家が「形式主義者」として共産党から批判された)の直後は、共産党のプロパガンダ映画<ベルリン陥落>の音楽や、国家政策賛美のオラトリオ<森の歌>など、あからさまに当局に迎合する作品が書かれた(<24の前奏曲とフーガ>が書かれた1950〜51年は、まさにこの時期にあたる)。自らが指向する音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した末に、ショスタコーヴィチが見いだした音楽的語り口。それは新鮮、陳腐、深刻、滑稽、真摯、皮肉などのアンビバレンツな要素が交錯し、とても一筋縄では捉えられない独特のものである。
  この<24の前奏曲とフーガ>において、ショスタコーヴィチの関心事が、第一にその対位法書法にあったことは間違いない。モスクワとペテルブルグの両音楽院で培われてきたエクリチュール(書法)の伝統は、ソヴィエト時代にはすっかり疎んじられ、「この国にはもうフーガを書ける人間はいない!」と嘆いたショスタコーヴィチだった。制約された書法の中にも新たな可能性はある、という職人的自負もあったに違いない。果たしてここでショスタコーヴィチが書いたフーガのほとんどは、バッハを規範とするいわゆる「学習フーガ」の書法に従ったものである。ただし、決して優等生で終わらないのがショスタコーヴィチのショスタコーヴィチたる所以で、そこには風変わりなアイデアや、巧妙なトリックが仕掛けられ、調性音楽の枠の中にありながら音たちが縦横無尽に駆け巡る、独自の対位法音楽を生み出している。その語法にはまた、ショスタコーヴィチが編み出した独特の調性と旋法のシステムが、幅広く援用されてもいるのである。
 一方ここで用いられている音楽的主題に目を向ける時、そこに「社会主義リアリズム」に迎合する要素が数多く見られるのは、前述のような作曲時期を考えれば当然のことである。たとえば<森の歌>から引用された主題が随所に現れたり、ロシアの民俗歌謡ブィリーナのイディオムが用いられたり、さらにムソルグスキーを想わせる曲想も登場する。ショスタコーヴィチがそれらの主題にどんなメッセージを託したのか、その真意を読み解くことも、この作品を理解するためには必要なことなのかも知れない。しかしそれはショスタコーヴィチの音楽につきまとう永遠の謎である。アレクサンドル・メルニコフは次のように語る。「作品87を通して、我々は苦しみ抜いた人間の声を聞くということ。あるがままの人生 ――多様で、醜悪で、それでも時には美しくもあった人生と向き合うために、繰り返し、超人的な能力を発揮した人間の声を聞くということだ。」

≪全24曲の構成と各曲の特徴≫
 この巨大な連作曲集を書き上げた当初ショスタコーヴィチは、それぞれの前奏曲とフーガは独立して弾いてもよく、全体を連作曲集と意図して書いたものはない、と表明した。しかし24曲の配列と構成には、単に5度圏を巡る調性の配列(バッハの場合とはその配列順序が異なる)だけにとどまらないいくつかの作曲上のコンセプトが認められ、全曲演奏によってはじめて立ち現れてくる各曲の性格的輝きも見逃せない。まず明らかなのは、前半12曲と後半12曲の2部構成となっていることである。
 前半の12曲は、ハ長調(第1番)に始まり、その平行調であるイ短調(第2番)のあと、5度調方向にト長調、ホ短調、ニ長調、嬰ハ短調・・・の順で嬰ト短調(第12番)まで進む。
 冒頭の第1番ハ長調は、古き時代への追憶のようなサラバンド風の前奏曲と、ピアノの白鍵のみを用いた4声のフーガ(多様な旋法で彩られるために、素晴らしい広がりを持つ)。主題は<森の歌>から採られている。第2番イ短調、第3番ト長調の3声フーガはすこぶる闊達で、ショスタコーヴィチらしい諧謔性が発揮され、第3番の前奏曲ではロシア的な素朴で重厚な響きがムソルグスキーを想わせる。そして第4番ホ短調のメランコリックな表情を帯びた前奏曲に続く4声のフーガは、規模の大きな二重フーガ(2つの主題が別々に提示され、最後に組み合わされる)となっている。第5番ニ長調の前奏曲はアルペッジョによるシンプルなもの。続く3声のフーガも同音反復と音階を用いたシンプルなアイデアながら、書法は冴える。第6番ロ短調は対照的に凝った作りで、規模の大きな4声のフーガは対主題の登場させ方が面白い。第7番イ長調はクーラント風の爽やかな前奏曲に続いて、3声のフーガは主題が一つの分散和音で作られたユニークなもの(<森の歌>にも登場するピオニールのラッパの旋律に基づく)となっている。第8番嬰ヘ短調の3声のフーガの主題もユニークで、こちらは深い哀愁を漂わせる。第9番ホ長調の前奏曲はロシア民謡の対話形式を模したユニゾンの音楽、それに続くフーガは、この曲集唯一の2声で書かれている。第10番嬰ハ短調、第11番ロ長調はいずれも、バッハが使った音型をそのまま用いた擬似バロック・スタイル。それに対して、前半の最後を飾る第12番嬰ト短調はきわめて個性的で、完成度の高い音楽となっている。前奏曲はショスタコーヴィチが厳粛な音楽を書く時にしばしば用いたパッサカリア形式。4声のフーガは5/4拍子の変則的リズムによる主題に精緻な和声を絡め、息をもつかせぬ俊敏さで織り上げてゆく。
 後半の12曲はハ長調から最も遠い調性である嬰ヘ長調(第13番)に始まり、変ホ短調(第14番)から調号のフラットを一つずつ減らして進み、ニ短調(第24番)で全曲を締めくくる。
 第13番嬰ヘ長調の清々しい朝の気分のような前奏曲は後半の始まりにふさわしい。そして曲集中唯一の5声のフーガでは、主題の縮小形を絡めた古き良き対位法の技法とモダンな和声が融合する。続く3曲には、曲集中もっとも特徴的な音楽が現れる。第14番変ホ短調は、弔いの鐘と嘆きの歌が聞こえる鬼気迫る前奏曲と、民謡風の素朴な調べを主題とする3声のフーガ。第15番変ニ長調はショスタコーヴィチ一流の辛辣なワルツのリズムによる前奏曲に始まり、続く4声のフーガは半音階の無調的な音使いと、3拍子、4拍子、5拍子が混在するアクロバティックなリズムを猛烈な速さで弾きこなす。第16番変ロ短調はがらりと変わって、いにしえの響きに思いを馳せるような音楽。前奏曲は第12番と同じくパッサカリア形式で書かれ、3声のフーガは民族楽器グースリが奏でるような繊細な音型を主題に、連綿と綴られるきわめてユニークな一曲となっている。そして第17番変イ長調、第18番ヘ短調では素朴な民謡風の主題を歌わせる。第19番変ホ長調になると、ショスタコーヴィチらしいアイロニカルな音楽が戻ってくる。そのフーガでは音階が変質され無調の響きを帯びる。第20番ハ短調は民俗歌謡ブィリーナの重厚なメロディを用いた前奏曲と、同じ主題による4声のフーガ。第21番変ロ長調の3声のフーガは、ファンファーレ風の主題が活発に展開する。第22番ト短調、第23番ヘ長調は、抒情的な前奏曲と入念に書き込まれたフーガが、対位法の世界に深く聴き入らせる。そしていよいよ終曲の第24番ニ短調。深い感慨のこもった前奏曲にはフーガの主題の予告が挿まれる。そしてそのブィリーナ風の3拍子の主題に始まる4声のフーガは、途中から動きのある第2の主題を交えて壮大な二重フーガを形作り、最後は熱烈なクライマックスを築いて終わる。


柿沼 唯(作曲家)

2012年1月15日(日) 14:00 浜離宮朝日ホール
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公演の詳しい情報はこちらから

≪アフターパフォーマンストーク決定!≫
終演予定時刻:16時15分
アフターパフォーマンストーク 16時30分〜17時00分(予定)
会場:浜離宮朝日ホール 大控室

対象:26日の公演にご来場いただいた方(参加は無料です)
お申込方法:事前申込制、下記応募ボタンよりお申込ください。(40名様限定先着順)
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posted by Japan Arts at 12:32| アレクサンドル・メルニコフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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