2012年02月15日

コンスタンチン・リフシッツ【特別インタビュー】

−「フーガの技法」はあなたにとって特別な作品だと思いますが、どのようなことを聴衆に感じて欲しいと考えますか。

 「確かに私にとっては大きな意味のある作品です。コンサートのプログラムというのは、演じる側から聴く人々への“語りかけ”です。本を読むとき、ページをめくるごとに出来事が転回していくように、フーガが多様な変化を繰り返していく。弾きながら私が感じていくその移ろいを、聴衆の皆さんにも感じていただければと思います。」

−「フーガの技法」について、学術的で固いイメージを持っている方が多いと思います。聴衆としてこの作品を楽しむポイントを教えていただけますか。

 「《フーガの技法》は高くそびえ立つ山。簡単には最高峰に登りつめられない。聴くのも難しいし、演奏家にとっても難曲です。それだけに、これぞと思う音色や美しさが見つかった時は大きな満足を得られます。日本で弾いてみたいとずっと願っていました。「フーガの技法」は日本の伝統芸能である「能」を髣髴させるのです。とても日本の人々に近いイメージがあります。ただ、日本の音楽の捉え方は、我々ヨーロッパ人の予測とは違うことがよくあります。反応を予測するのは難しいです。」

−日本では大地震、ヨーロッパでは経済状況の悪化など、世界中が難しい状況にあります。このような状況下での音楽家の使命をどのようにお考えになりますか。

「日本は昨年3月に本当に大きな悲劇におそわれました。そのような時こそ人はより音楽を求めるような気がします。大変な状況にある時ほど、音楽の果たす役割は大きくなります。そう考えると、私たち音楽家は、いつになく大きな責任を担うことになります。ロストロポーヴィチは、「音楽は美の兵隊だ」と言いました。世界が厳しい状況にあり人々が悲しい出来事に見まわれた時に、音楽を始め、芸術の力が救いになれると思います。そのような自覚を持ってステージに立たねばなりません。
 何らかの形で、少しでも貢献したいと思っています。」


≪公演情報≫2012年3月15日(木) 19:00 紀尾井ホール
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詳しい公演情報はこちらから

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2011年12月19日

「フーガの技法を読み解く1」バッハとその時代 その(2) 社会的背景 [コンスタンチン・リフシッツ]

文・写真:加藤浩子(音楽評論家)

 バッハが偉大な存在であることは言うまでもないが、筆者が特別バッハを尊敬してしまう大きな理由は、バッハがごく普通の市民生活をまっとうしたことだ。
 そんな当たり前なこと、と思われるかもしれない。けれど作曲家の生涯を多少調べた方ならお分かりのように、世に言う大作曲家で地に足のついた市民生活を送ったひとはごく少ない。ベートーヴェンしかり、シューマンしかり、ワーグナーしかり。みな、ある意味家庭人としては失格である。
 けれどバッハは違う。2度の結婚で20人の子供をもうけ、大家族の家長としての務めを立派に果たした。一方で仕事人としては膨大な創作量!をこなしたが、それは当時の職業音楽家としては当然でもあった。バッハはいわば、偉大なる常識人だったのだ。
 バッハがこれほどバランスのとれた人生を送れたのは、もちろん本人の力でもあるけれど、社会環境も無関係ではない。周知のように当時の音楽家はお雇いの身であり、注文のままに仕事をこなす職人だった。その頃の「音楽」は、自己表現の「芸術」という位置づけではなく、先祖代々受け継がれる職人仕事であり、磨いて行くべき技芸でもあった。その枠のなかに組み込まれ、職を得ている限り、音楽家は安定した仕事だった。19世紀の大作曲家たちが、宮仕えを脱した代わりに不安定な生活環境に甘んじなければならなかったのとは対照的だ。
 バッハを雇い、給与を払ったのは、「宮廷」や「都市」である。中央集権国家のフランスと違い、数百の国に分裂していたドイツでは、
中小の「宮廷」とならんで、「都市」も力を持っていた。ドイツが今でも首都のベルリンに一極集中せずに、ハンブルクやミュンヘンなど魅力的な大都市をいくつも抱えている理由は、そのような歴史にある。バッハが骨を埋めたライプツィヒや、テレマンが活躍したハンブルクといった都市は、商業を通じて繁栄し、ドイツ内の大国に匹敵する富を蓄えていた。小さな独立国のようなこれらの都市には、大宮廷もおいそれとは手が出せなかった。

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ライプツィヒのゲヴァントハウス
バッハはここを本拠にしているゲヴァントハウス管弦楽団の前身である、コーヒーハウスのコンサートを指揮していた


 「都市」は、音楽家にもさまざまな活躍の場を提供した。ハンブルクやライプツィヒのような大都会では、ドイツの他の都市に先駆けて公開コンサートが始まったし、また見本市の町で、出版業もさかんだったライプツィヒでは、自作を出版することもできた。バッハはライプツィヒで公開コンサートを指揮し、《パルティータ》や《イタリア協奏曲》などを含む《クラヴィーア練習曲集》を出版するなど、それまで勤めていた中小の都市や宮廷では考えられなかった活動をしている。
 《フーガの技法》は、小さな町の教会のオルガニストから大都市ライプツィヒの音楽監督へと、音楽職人として順調に出世したバッハが、どこからの注文でもなく自らの意志で、自分の習得した技法を集大成しようと試みた作品だ。そこには、音楽職人から一歩踏み出した、音楽家バッハが透けて見える。けれどその方向転換も、それまでの音楽家職人としての積み上げがあって、はじめて可能になったことだったのではないだろうか。

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ライプツィヒの聖トーマス教会にあるバッハのお墓

≪公演情報≫2012年3月15日(木) 19:00 紀尾井ホール
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2011年11月11日

「フーガの技法」を聴いて[コンスタンチン・リフシッツ]

ひとつの宇宙をなす一夜のリサイタル
コンスタンチン・リフシッツ 4月28日 ウィグモアホール 「フーガの技法」を聴いて
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 「もっとも挑みがいのある作品だった」とその録音を振り返り語ったこともある、バッハの『フーガの技法』BWV1080。最晩年のバッハが取り組んだものの、未完成のフーガ1曲を残したまま中断され、その死後に出版されたこの作品。構成などに今なお謎が残るともされるが、リフシッツはどのように演奏するのか。バッハの世界に魅了されてきたリフシッツが臨んだ、深遠な世界──。

 それは、バッハが表したかったであろう世界をくっきりと示すものであった。
 客席にやや背を向けるように、時にピアノの低弦部分を覗きこむようにしながら、静かな佇まいで鍵盤に向かうリフシッツ。
 そこから紡ぎ出される音は、深く、透明感のある音。初めの単純なフーガはひたすら音を慈しむように。そして、声部が増え、それらが絡みあうようになっても、その技巧的な部分をまるで感じさせない。曲ごとにそのテーマが広がるにつれ、ひとつひとつの声部が語りかけてくるよう。基本的にはノン・ペダルで弾きすすめ、ペダル・ポイントでは、楽器全体をホール中に、存分に、響かせる。リフシッツと客席が一体となってその響きに身を投じる時の幸福と言ったら!
 バッハ自身は鍵盤楽器以外での演奏も可能性に入れていたともされる『フーガの技法』であるが、あえて現代ピアノで弾きたいとリフシッツ自身が語った理由がよくわかる。オルガンでも弦楽器でもなく、現代のピアノによって、このひとつのテーマを掘り下げていくことの面白さ。ピアノの響きで複数の声部がくっきり立ちあがる、その妙──もっとも、リフシッツなら、ピアノでなく、どの楽器を奏でてもこの作品の宇宙を作りあげてしまうのかもしれないと思わせられるが。
 静かに弾きはじめられた単純なフーガから反行フーガへと進み、鏡像フーガでの時に激した表情、そして悠然と主題と応答が示されるカノン。
 最後には、その出版譜において、未完成に終わったフーガの穴埋めとして付け加えられたというコラール『われ汝の御座の前に進み出て』BWV668aが演奏されたが、もちろんその演奏は穴埋めどころではない。この日のすべての曲のどれを欠いても、画竜点睛を欠くことになっていたに違いない。それほど、この一夜のリサイタルは、ひとつの宇宙を成すものとして完全に構築されていた。

音楽ライター:阿部恭子

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2010年11月02日

CDリリース情報[コンスタンチン・リフシッツ]

コンスタンチン・リフシッツ CD「さすらい人幻想曲〜シューベルト作品集」 若林工房よりリリース。
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発売:11月5日発売
価格:¥2,400
録音: 2008年7月3〜5日、新川文化ホール(富山県魚津市)

「リフシッツはシューベルトに特定のイメージを想定してそこに収斂させるのではなく、変幻しながら次々と多種多様なファンタジーを創生し、計り知れない躍動を持つ生命体に結実させているのだ。作曲者の高邁な境地や達観を示したこのディスクが、シューベルト演奏のひとつの最高峰であることは間違いない。」 (真嶋雄大/ライナーノートより)

⇒HMVオンラインからもご購入できます。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3935480

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2010年10月19日

リフシッツ、インタビュー(2010年12月公演へ向けて)

コンスタンチン・リフシッツが12月に来日する。今回は樫本大進とのデュオ、チェロの趙静(ちょう・ちん)を加えたトリオ公演、そして12月24日のクリスマス・イブにソロ・リサイタルを行い、バッハのゴルトベルク変奏曲を取り上げる。今回演奏するゴルトベルク変奏曲は、かのグレン・グールドの初録音よりも早くリフシッツが18歳の時に録音され、そのCDはアメリカでグラミー賞にノミネートされた。ニューヨーク・タイムズ紙は「グールド以来、最もパワフルな演奏」と評した記念すべき作品。日本では1999年以来11年ぶりに披露される。

DSC_3944.jpgあなたはデビュー以来バッハを継続的に取り上げていらっしゃいますが、あなたのレパートリーにおいて、バッハはどのような位置を占めますか?
― 私の過去のプログラムを見ていただければ、バッハが占める割合が多いというのは、一目瞭然です。それは、何よりもまず、演奏会の主催者に頼まれるから、という理由が大ですが、同時に私が一番演奏したい作曲家でもあります。『バッハが私に“好意的”に接してくれる』ので、私にとって、バッハは、伝えたいことを、最も率直に聞き手に伝えやすい作曲家なのです。
はい、バッハは日本だけでなく、世界のいろんな場所で演奏を依頼されますね。いつも喜んで取り組んでいます。

あなたは「バッハを正統に扱うには、派生的な芸術も考えなければならない。建築、修辞学、詩、絵画など。そしてその統合で、鍵盤も弾かねばならない」と語られていますが…
― そんなこと言いましたか? 自分でも怖いですね!(笑)

さて、ゴルトベルグ変奏曲を演奏する時には、どんな要素を重視されていますか?
― それはコンサートで演奏する時ですか? それとも自分のために弾く時ですか? それによって、答えが違います。

ではまず、演奏会で、聴衆を前に弾く時の場合は?
― まず生き延びて、終いまで弾ききること!(笑)
…いや、半分冗談ですが、なにしろご存知のように80分は超える大曲ですからね。私はまず、この音楽が有する美しさを表現しようと心がけています。それが叶って聴衆の皆さんにこの作品の美しさが伝わったら、それが何よりの喜びです。
練習で弾く場合、あるいは自分のために弾く場合は、いつも新しい発見を模索しながら弾いています。音符が鍵盤に“乗って”くると、きのうは感じなかったことが、ふと浮かんできたりするのです。人間の状態は、毎日毎分違います。気分が良かったり、そうでなかったり、体調によっても音は変わってきます。その中で、その時々に応じた発見が、私をいつも驚かせます。そしてそれを今度は、聴衆の皆さんに表現しようとする…
その繰り返しですね。

日本でゴルトベルクを演奏されるのは1999年以来11年ぶりですが、この作品を演奏される上でご自身の変化、また作品の捉え方に何か変化はありましたか?
― これはとても主観的なことで、私自身、この11年いろいろな面で変化はありましたし、音楽との相関関係も変わりました。人間は、常に足踏みしているわけではないですからね。日々刻々と考え方やとらえ方は変わって当然です。ただ、それが音楽を通して、聴衆の皆さんが「変化」としてどのように受け止めるか、それは私が測れることではありません。11年前にゴルトベルクを聞いてくださった方が、今回の演奏を聞いて、「変化」を感じてくださるかどうか、チャンスがあったら、是非意見を伺ってみたいものです。
ゴルトベルクは、先ほども言いましたが、長い作品です。大変な集中力を要します。弾き始めた時、それから5分弾いた時、さらに10分、30分と弾いていくうちに、たとえ最初うまく“乗れなくても”どんどん音楽に入っていける。それは長い作品の長所かもしれません。確かに、マラソンや車長距離運転のように、長い集中力を要しますが、逆に自分を表現したり、感じ方の微調整をしたりするだけの時間の余裕があるわけです。オペラ歌手もそうでしょう。小さなアリアをたくさん歌う役柄もあれば、どん、と特大のアリアが聞かせどころの役もありますよね。

現代のコンサートグランドピアノでバッハを演奏する際に気をつけていることはありますか?
― バッハの時代にも、今に似た楽器はそろそろ登場し始めていました。それでも、現代の楽器との違いはあります。私は、バッハが頭の中に描いていた音のパレットを表現したいと考えます。ピアノと言うのは、きわめて“中立的”な楽器。ヴァイオリンやオーボエなどと違って、奏者が音色を変える、ということは出来ません。頭の中で最初に浮かぶ音色を、いかに実際の音に表現するか、それが常日頃の練習で自分に課していることです。

バッハ作品を演奏する際に多くの古楽奏者が行っているように作曲当時の楽器や演奏様式など「当時の響き」を追及することをどのように思われますか?
またあなたがバッハを演奏する際に最も大事だと思うことを教えて下さい。
― 『当時の音』を再現しようと言うことに対して、私は反論はしません。でも、どんなに当時の音を追及しても、それは録音で残っているわけではありませんし、正確にはわかりません。どうしても、そこには現代人のファンタジーや詩情が足されてしまいます。いずれにしても、「当時」と「現代」をほどほどに混ぜ合わせることが最良かと思います。

あなたは日本の伝統的な文化や風習を好まれていますが、何が心をとらえるのでしょう?
― まずは、日本文化の独自性です。どこにもない、日本固有の稀有な文化や風習。歴史を紐解くと、日本は長い間外国との関係を絶って、独自の営みを続けていました。その良い意味での賜物が、このすばらしい文化だと思います。他の、どの国でも、これほどオリジナリティーのある文化や風習は、お目にかかれません。
歌舞伎や能にしてもそうです。言葉が重要な意味を持っているにもかかわらず、言葉を解さない私でも、非常に惹かれます。言葉の意味がわからなくても、観ているだけで、多くのものが伝わってくるのです。
食べ物ですか? もちろん大好きです! 日本食は、何よりも美しい!(盛り付けのこと) 何が一番好きか…
難しいですね。何でも好きです。刺身も、寿司も。生の魚は、日本でしか食べませんよ。
私が今滞在しているデュッセルドルフ(注:デュッセルドルフ滞在中に電話インタビュー)には、日本街、なるものがあり、日本のレストランが数多くあります。おにぎり専門の店、関西料理、お好み焼き…(これを全て日本語で言う)。
きのうもここでうどんを食べましたよ!

聴衆の皆さんへのメッセージをお願いします。
― いつもそうですが、日本に行くのを心待ちにしています!皆さんに、またお目にかかれるのがとても楽しみです。私は今シーズン、バッハの「フーガの技法」(BWV1080)に集中的に取り組んでおり、CDも出しました。今回皆さんの前で演奏する機会が無いのは残念ですが、CDを是非聞いてみてください。演奏会でゴルトベルクを聞き、さらに「フーガの技法」を聞いてくだされば、バッハの音楽のさらなる魅力を感じていただけるでしょう。
日本の聴衆の皆さんは、大変に洗練されています。知識があり、理解力に富み、そして開放的です。これだけ数多くのアーティストが日本に訪れているわけですから、聴衆の耳も、とても肥えていますよね。
日本の聴衆とは、いつもとてもコンタクトしやすい。壁を感じない、と言うか、もちろんホールや町によっても違いますが、一概に言って、聞き手と一体感を感じながら演奏することが出来ます。これは演奏家にとって、大変重要なことです。私たちが発するものを、客席で受け止め、さらに向こうからも帰ってくるのです。フィードバック、ですね。ですから、日本での演奏は、いつも、どこでも、大変楽しみにしています。
今回も皆さんと共に、すばらしい音楽の空間を創造できると思います!

インタビュー・文=小賀明子



樫本大進&趙静&コンスタンチン・リフシッツ トリオ公演
2010年12月16日(木) 19時開演 紀尾井ホール
詳細はこちら

樫本大進&コンスタンチン・リフシッツ デュオ公演
2010年12月18日(土) 14時開演 紀尾井ホール
2010年12月19日(日) 14時開演 紀尾井ホール
詳細はこちら


コンスタンチン・リフシッツ ピアノ・リサイタル
2010年12月24日(金) 19時開演 東京文化会館 小ホール
詳細はこちら

posted by Japan Arts at 16:05| コンスタンチン・リフシッツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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