2012年02月28日

「デビュー20周年記念公演 横山幸雄 3大ピアノ協奏曲の夕べ」プログラム・ノート

 横山幸雄がどんなことを試みようと、もうたいていのことには驚かない。プロフェッショナルなピアニストとして20年間の歩みのなかで、彼は驚くべき挑戦を自らに課しては、その成果を克服というよりもむしろ当然という姿勢で聴衆に示してきたからだ。かつてスヴェトラーノフのピアノ協奏曲に暗譜で臨んだことにも驚かされたし、最近では昨年5月にはショパンのピアノ独奏曲の連続演奏に取り組み、18時間にわたり全212曲を暗譜で演奏したことも大きな話題となった。また、2010年10月のショパン忌から、自ら教授として関わる上野学園の石橋メモリアルホールで、ショパンのピアノ独奏曲全曲演奏会を進行し、併せてレコーディングした12タイトルの全集も昨年末に完結させて、音楽家としての充実した進境を示した。
 さて、デビュー20周年という記念すべきシーズンのしめくくりに、横山幸雄が臨むのが時代を画す3つのピアノ協奏曲の演奏会だ。信頼の篤い小泉和裕の指揮、盟友といってよいだろう矢部達哉をコンサートマスターとする東京都交響楽団との共演が組まれている。チャイコフスキーの野心作から、ラフマニノフの大傑作へ。史上最強のコンポーザー=ピアニストのひとりであるラフマニノフへの第3番には、自らも作曲を手がける横山幸雄の敬愛も並々ならぬものがあるに違いない。その間で、ラヴェル晩年の美しい成果が、ロシアのロマン派音楽とはまた異なった夢をみせる。
 こうして、ピアノ音楽が輝かしい豊穣を誇った、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの黄金時代の名曲が選ばれたが、それぞれの様式も要求されるピアニズムも異なっている。協奏曲のソリストとしても豊富な経験をもつ名手だからこその、安定した技巧に導かれて、多彩な世界が拓かれていくことだろう。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 op.23
 ロシアに西欧音楽が導入されたのは18世紀に入ってからで、ロシア固有の情緒と近代ピアノ奏法が魅力的に融合するのは、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜93)の創作においてだった。1874年秋からピアノ協奏曲という未知の分野に取り組んだ新進作曲家は、名手として知られるニコライ・ルビンシテインに独奏パートに関して助言を求めたが、演奏不能だと激しく酷評される。「ピアノ・パートは絶対に弾けないし不器用で陳腐」という先達の批判に対し、「一音だって変えない」とチャイコフスキーは反抗した。しかし初版以降は多くの部分が修正されて、今日に伝えられている。そして、曲は献呈先ともなるハンス・フォン・ビューローが「すべてのピアニストの感謝に値する作品」、「非常に難しいがその価値はある」とみなして練習に励み、1875年にボストンで初演、ニューヨークでも大成功を収めた。78年以降はルビンシテインも愛奏し、友情は回復した。
 ウクライナ民謡やフランスのシャンソンの引用も含み、力強くまた情緒の面でも魅力的な場面に富むこの曲は、表現意欲、内容と、構成や書法との間に未消化な部分を多分に残しつつも、抒情味と技巧性を併せもつ。ヴィルトゥオーゾたちの技巧を強度に引き出す豊かな表現効果を抱き、19世紀的なピアニズムのひとつの象徴として、今日まで燦然たる輝きを誇っている。曲は3楽章からなり、アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソの長い導入部に続くアレグロ・コン・スピーリト、アンダンティーノ・センプリーチェの第2楽章を経て、アレグロ・コン・フオーコで情熱的にしめくくられる。

ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
 フランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875〜1937)は、明快な形式を愛した古典主義者で、完成作品としては最後から2番目にあたるこのピアノ協奏曲でもト長調を採ったように、モダニストでありながら調性を重視した。ラヴェルは卓抜なピアニストとは言えないまでもピアノを愛奏し、鍵盤上で作曲しただけでなく、新しい様式が拓かれる契機の多くをピアノ作品に顕している。フランスのクラヴサン音楽の伝統と、ショパンやリストのロマン派的色彩を融合した先に、ラヴェルは独自の明晰な世界を築いていった。
 1929年から、「左手のための協奏曲」ニ長調と並行して書かれた、このト長調協奏曲は31年に完成。翌年1月にマルグリット・ロンのピアノ、作曲家自身の指揮するラムルー管弦楽団がパリのサル・プレイエルで初演した。「モーツァルトとサン=サーンスの精神をもって」作曲されたというが、ストラヴィンスキーやガーシュインに通じる魅力もある。肥大化していく後期ロマン派の豊穣とは異なり、古典的ともいえる室内楽的な書法をとるなかに多彩な要素を鏤めた、ラヴェル一流の美学が鮮明に結実している。
 曲はアレグラメンテ、アダージョ・アッサイ(ホ長調)、プレストの3楽章構成。ラヴェルの母方のルーツであるバスクやジャズを想起させる要素もまじえて、鮮やかな生命感と詩情に彩られた20世紀前半の名作である。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調 op.30
 セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943)は、2つの世界大戦を含む激動の20世紀前半を代表するヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして名高いだけでなく、ロマン派音楽の豊穣を体現した作曲家として後世に多くの果実を遺した。
 モスクワ音楽院の卒業制作として書かれたオペラ《アレコ》がチャイコフスキーに絶賛された期待の新鋭は、1897年に意欲作の交響曲第1番の初演が酷評されて、大きな精神的ダメージを受ける。精神療法も受けながら、作曲家としての自己を回復したラフマニノフ改心の作が、1900年に着手、翌年に初演をみたピアノ協奏曲第2番ハ短調だった。以降、交響曲第2番などに湧き立つ創作意欲をみせた作曲家が、1909年、「アメリカのために作曲した」のがこの史上の傑作、ピアノ協奏曲第3番ニ短調である。
 1909年秋からのコンサート・ツアーのために初めてアメリカに渡ったラフマニノフが、11月28日のニューヨーク初演に向けて準備したこの作品は、同地で熱烈な歓迎を受けた。翌10年1月16日にはグスタフ・マーラー率いるニューヨーク・フィルハーモニックとも共演された。ロシアの民族的色彩とロマン派の豊穣な感情表現が独自の洗練味をもって結実し、華麗な技巧を駆使しながら、壮大な交響曲的な充実をみせる難曲である。ロシア革命の政情不安を逃れ、1918年以降はアメリカに定住したラフマニノフの代表的な演奏会レパートリーとなった。ラフマニノフを「鉄の指と黄金の心をもった人物」と崇拝するヨーゼフ・ホフマンに献呈されたが、彼の手には余ったようで実演はなされなかった。
 曲は、アレグロ・マ・ノン・タント、インテルメッツォ(アダージョ)、フィナーレ(アッラ・ブレーヴェ)の3楽章構成。両端楽章が自由なソナタ形式をとり、主題的な関連をもつなかに、エピソードを挿む自由な変奏曲が置かれている。ラフマニノフが好んだ鐘の響きも印象的だ。ピアノとオーケストラが緻密に織りなす壮麗な響きのなかに、郷愁や情熱、陰翳や輝きに充ちた豊かな感情が鮮やかに息づく。

青澤隆明(音楽評論)


デビュー20周年記念公演
横山幸雄 3大ピアノ協奏曲の夕べ

2012年2月28日(火) 19時開演 サントリーホール
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posted by Japan Arts at 14:00| 邦人アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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