2012年01月23日

メルニコフの演奏について『ピアノ・リサイタル曲目解説』

 この曲の録音は、作曲家と直接に深い関係にあったタチアナ・ニコラーエワのものと、アシュケナージによるものとが定番と評価されていますが、メルニコフによる新しいCDはヨーロッパでは、ニコラーエワとは少し異なるアプローチによる演奏として非常に高い評価を受けています。
  「アシュケナージと肩を並べる腕前。聴くものが我を忘れて作品に没入してしまう。」(「ディアパソン」誌)とか、現実を超越した洗練された演奏で、アシュケナージ盤を超えるような名盤。この作品がピアノ曲の傑作であることを示してくれる、第1級の演奏家。」(「クラシカ誌」)などと、絶賛されています。
  日本でも「レコード芸術」誌では、「これほど詩情に溢れたショスタコーヴィチがあったろうか。」、「作曲家への切実で強烈な共感に満ち、それまでの演奏にはない柔軟さと共に作品の本質に深く切り込んでいる。」、「俊英メルニコフのディスクは・・・よく時宜を得た快挙だと言えよう。」と海外にも増して賞賛の言葉を得て同誌の特選盤に選ばれています。
 いずれにしても、彼の演奏を生で聴いていただければ、この曲の素晴らしさに直接に触れることが出来ると共に、この曲があなたのピアノ音楽の名曲のリストに新たに加わることとなることは間違いないと思います。
 そこで、どのような曲集であるのか、事前に解説をご用意しましたので、ご参考に供していただければ幸いです。



ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)
24の前奏曲とフーガOp.87(全曲)

 ショパン・コンクールで名誉賞を贈られるほどの優れたピアニストでもあったショスタコーヴィチ。だが、彼が作曲したピアノ曲は、意外にも数えるほどしかない。2曲のピアノ・ソナタ(そのうち<第1番>は音楽院時代の習作である)、初期の秀作<24の前奏曲>Op.34、そしてこの<24の前奏曲とフーガ>Op.87の他は、いくつかの小品集と、2曲の2台ピアノのための作品があるだけである。しかしこのことは、ショスタコーヴィチに強い影響を与えた音楽が、マーラーの巨大な交響曲であり、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲であり、またアルバン・ベルクの精緻な心理描写の音楽であったことを思い浮かべれば、容易に理解できる。いわゆるピアニスティックな演奏効果の追求よりも、骨太の書法による音楽語法の追究や「何を書くべきか」に心血を注いだショスタコーヴィチにとって、純粋なピアノ曲よりもたとえば室内楽のほうが、はるかに創作意欲をかき立てられるジャンルだったのである。この大作<24の前奏曲とフーガ>は、そんなショスタコーヴィチのピアノ曲の代表作としてまことにふさわしい作品と言えるだろう。なぜならば、これはショスタコーヴィチが多大な影響を受けたもうひとりの作曲家、バッハの偉大な作品への崇敬の念に端を発し、その限定された様式の中で自己の書法を錬磨するという、ある意味ストイックな、しかし果敢な挑戦が見事な実を結んだ、まさにショスタコーヴィチにしか書けなかったピアノ音楽だからである。

≪作曲の経緯≫
 ピアノ音楽の「旧約聖書」とも呼ばれるバッハの<平均律クラヴィーア曲集>に倣った作品を書こうとショスタコーヴィチが思い立ったきっかけは、1950年にライプツィヒで開かれた「第1回国際バッハ・コンクール」だった。バッハの没後200年を記念して開催されたこのコンクールに、ショスタコーヴィチは審査員として招かれ、連日バッハの作品を聴いてその作品の偉大さを再認識するとともに、優勝したタチアナ・ニコラーエワの弾く<平均律クラヴィア曲集>に特に鮮烈な印象を受けたのである。コンクールから帰国して間もない同年10月、ショスタコーヴィチは最初の前奏曲とフーガを書き始める。当初は自己の技巧の完成のための練習曲のつもりであったというが、ほぼ1日1曲のペースで断続的に書き進められるうちに、バッハと同様の、全ての調性を網羅した連作曲集へと構想は膨らんでいった。ショスタコーヴィチの速筆ぶりは驚くべきもので、10月10日にその第1番ハ長調に着手してから約4ヶ月半後の1951年2月25日には、24の前奏曲とフーガの全てが完成している。 その作曲は、第1番前奏曲(10月10日)、第1番フーガ(10月11日)、第2番前奏曲(10月12日)、第2番フーガ(10月13日)、第3番前奏曲(10月14日)、第3番フーガ(10月16日)、第4番前奏曲(10月22日)・・・ というように、曲集の配列通りの順序できわめて整然と行われた。また一曲完成する度に、ニコラーエワがショスタコーヴィチに弾いて聴かせたという。全曲の初演はニコラーエワにより、1952年12月23日と28日の2日間にわたって行われた。この初演以来ニコラーエワはこの作品のスペシャリストとしてこれをライフワークの一つとし、その全曲録音は3度にも及んだ。

≪作風≫
 ショスタコーヴィチの音楽を一言で語ることは難しい。しばしば論じられるのは、彼が生きた「ソヴィエト」というきわめて特殊な社会的状況に起因する作風の変遷である。ペテルブルグ音楽院の卒業作品<交響曲第1番>により華々しいデビューを飾り、ヨーロッパ中の注目を集めた若きショスタコーヴィチは、当時最新の作曲技法を吸収し、愉快な悪戯や機知に富んだパロディーも愛した才気煥発な青年だった。そんなショスタコーヴィチに転機が訪れるのは彼が30歳の時(1936年)、共産党の機関誌「プラウダ」が、同年初演のオペラ<ムツェンスクのマクベス夫人>を初めとする当時の彼の作品を「音楽の代わりの荒唐無稽」と断じ、「人民の敵」という烙印まで押して批判するという、厳しい現実に直面した事だった。自己批判を余儀なくされたショスタコーヴィチは、これ以後作風を一転させ、いわゆる「社会主義リアリズム」の路線に沿った作品を書き続けることとなる。特に1948年の「ジダーノフ批判」(ソヴィエトのほとんどの作曲家が「形式主義者」として共産党から批判された)の直後は、共産党のプロパガンダ映画<ベルリン陥落>の音楽や、国家政策賛美のオラトリオ<森の歌>など、あからさまに当局に迎合する作品が書かれた(<24の前奏曲とフーガ>が書かれた1950〜51年は、まさにこの時期にあたる)。自らが指向する音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した末に、ショスタコーヴィチが見いだした音楽的語り口。それは新鮮、陳腐、深刻、滑稽、真摯、皮肉などのアンビバレンツな要素が交錯し、とても一筋縄では捉えられない独特のものである。
  この<24の前奏曲とフーガ>において、ショスタコーヴィチの関心事が、第一にその対位法書法にあったことは間違いない。モスクワとペテルブルグの両音楽院で培われてきたエクリチュール(書法)の伝統は、ソヴィエト時代にはすっかり疎んじられ、「この国にはもうフーガを書ける人間はいない!」と嘆いたショスタコーヴィチだった。制約された書法の中にも新たな可能性はある、という職人的自負もあったに違いない。果たしてここでショスタコーヴィチが書いたフーガのほとんどは、バッハを規範とするいわゆる「学習フーガ」の書法に従ったものである。ただし、決して優等生で終わらないのがショスタコーヴィチのショスタコーヴィチたる所以で、そこには風変わりなアイデアや、巧妙なトリックが仕掛けられ、調性音楽の枠の中にありながら音たちが縦横無尽に駆け巡る、独自の対位法音楽を生み出している。その語法にはまた、ショスタコーヴィチが編み出した独特の調性と旋法のシステムが、幅広く援用されてもいるのである。
 一方ここで用いられている音楽的主題に目を向ける時、そこに「社会主義リアリズム」に迎合する要素が数多く見られるのは、前述のような作曲時期を考えれば当然のことである。たとえば<森の歌>から引用された主題が随所に現れたり、ロシアの民俗歌謡ブィリーナのイディオムが用いられたり、さらにムソルグスキーを想わせる曲想も登場する。ショスタコーヴィチがそれらの主題にどんなメッセージを託したのか、その真意を読み解くことも、この作品を理解するためには必要なことなのかも知れない。しかしそれはショスタコーヴィチの音楽につきまとう永遠の謎である。アレクサンドル・メルニコフは次のように語る。「作品87を通して、我々は苦しみ抜いた人間の声を聞くということ。あるがままの人生 ――多様で、醜悪で、それでも時には美しくもあった人生と向き合うために、繰り返し、超人的な能力を発揮した人間の声を聞くということだ。」

≪全24曲の構成と各曲の特徴≫
 この巨大な連作曲集を書き上げた当初ショスタコーヴィチは、それぞれの前奏曲とフーガは独立して弾いてもよく、全体を連作曲集と意図して書いたものはない、と表明した。しかし24曲の配列と構成には、単に5度圏を巡る調性の配列(バッハの場合とはその配列順序が異なる)だけにとどまらないいくつかの作曲上のコンセプトが認められ、全曲演奏によってはじめて立ち現れてくる各曲の性格的輝きも見逃せない。まず明らかなのは、前半12曲と後半12曲の2部構成となっていることである。
 前半の12曲は、ハ長調(第1番)に始まり、その平行調であるイ短調(第2番)のあと、5度調方向にト長調、ホ短調、ニ長調、嬰ハ短調・・・の順で嬰ト短調(第12番)まで進む。
 冒頭の第1番ハ長調は、古き時代への追憶のようなサラバンド風の前奏曲と、ピアノの白鍵のみを用いた4声のフーガ(多様な旋法で彩られるために、素晴らしい広がりを持つ)。主題は<森の歌>から採られている。第2番イ短調、第3番ト長調の3声フーガはすこぶる闊達で、ショスタコーヴィチらしい諧謔性が発揮され、第3番の前奏曲ではロシア的な素朴で重厚な響きがムソルグスキーを想わせる。そして第4番ホ短調のメランコリックな表情を帯びた前奏曲に続く4声のフーガは、規模の大きな二重フーガ(2つの主題が別々に提示され、最後に組み合わされる)となっている。第5番ニ長調の前奏曲はアルペッジョによるシンプルなもの。続く3声のフーガも同音反復と音階を用いたシンプルなアイデアながら、書法は冴える。第6番ロ短調は対照的に凝った作りで、規模の大きな4声のフーガは対主題の登場させ方が面白い。第7番イ長調はクーラント風の爽やかな前奏曲に続いて、3声のフーガは主題が一つの分散和音で作られたユニークなもの(<森の歌>にも登場するピオニールのラッパの旋律に基づく)となっている。第8番嬰ヘ短調の3声のフーガの主題もユニークで、こちらは深い哀愁を漂わせる。第9番ホ長調の前奏曲はロシア民謡の対話形式を模したユニゾンの音楽、それに続くフーガは、この曲集唯一の2声で書かれている。第10番嬰ハ短調、第11番ロ長調はいずれも、バッハが使った音型をそのまま用いた擬似バロック・スタイル。それに対して、前半の最後を飾る第12番嬰ト短調はきわめて個性的で、完成度の高い音楽となっている。前奏曲はショスタコーヴィチが厳粛な音楽を書く時にしばしば用いたパッサカリア形式。4声のフーガは5/4拍子の変則的リズムによる主題に精緻な和声を絡め、息をもつかせぬ俊敏さで織り上げてゆく。
 後半の12曲はハ長調から最も遠い調性である嬰ヘ長調(第13番)に始まり、変ホ短調(第14番)から調号のフラットを一つずつ減らして進み、ニ短調(第24番)で全曲を締めくくる。
 第13番嬰ヘ長調の清々しい朝の気分のような前奏曲は後半の始まりにふさわしい。そして曲集中唯一の5声のフーガでは、主題の縮小形を絡めた古き良き対位法の技法とモダンな和声が融合する。続く3曲には、曲集中もっとも特徴的な音楽が現れる。第14番変ホ短調は、弔いの鐘と嘆きの歌が聞こえる鬼気迫る前奏曲と、民謡風の素朴な調べを主題とする3声のフーガ。第15番変ニ長調はショスタコーヴィチ一流の辛辣なワルツのリズムによる前奏曲に始まり、続く4声のフーガは半音階の無調的な音使いと、3拍子、4拍子、5拍子が混在するアクロバティックなリズムを猛烈な速さで弾きこなす。第16番変ロ短調はがらりと変わって、いにしえの響きに思いを馳せるような音楽。前奏曲は第12番と同じくパッサカリア形式で書かれ、3声のフーガは民族楽器グースリが奏でるような繊細な音型を主題に、連綿と綴られるきわめてユニークな一曲となっている。そして第17番変イ長調、第18番ヘ短調では素朴な民謡風の主題を歌わせる。第19番変ホ長調になると、ショスタコーヴィチらしいアイロニカルな音楽が戻ってくる。そのフーガでは音階が変質され無調の響きを帯びる。第20番ハ短調は民俗歌謡ブィリーナの重厚なメロディを用いた前奏曲と、同じ主題による4声のフーガ。第21番変ロ長調の3声のフーガは、ファンファーレ風の主題が活発に展開する。第22番ト短調、第23番ヘ長調は、抒情的な前奏曲と入念に書き込まれたフーガが、対位法の世界に深く聴き入らせる。そしていよいよ終曲の第24番ニ短調。深い感慨のこもった前奏曲にはフーガの主題の予告が挿まれる。そしてそのブィリーナ風の3拍子の主題に始まる4声のフーガは、途中から動きのある第2の主題を交えて壮大な二重フーガを形作り、最後は熱烈なクライマックスを築いて終わる。


柿沼 唯(作曲家)

2012年1月15日(日) 14:00 浜離宮朝日ホール
Melnikov_flyer.jpg
公演の詳しい情報はこちらから

≪アフターパフォーマンストーク決定!≫
終演予定時刻:16時15分
アフターパフォーマンストーク 16時30分〜17時00分(予定)
会場:浜離宮朝日ホール 大控室

対象:26日の公演にご来場いただいた方(参加は無料です)
お申込方法:事前申込制、下記応募ボタンよりお申込ください。(40名様限定先着順)
oubo.jpg



posted by Japan Arts at 12:32| アレクサンドル・メルニコフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。