2011年12月14日

「フーガの技法を読み解く1」 バッハとその時代(1)宗教的背景 [コンスタンチン・リフシッツ]

文・写真:加藤浩子(音楽評論家)

 バッハは「土着」のひとである。
そう言ったら、驚かれるだろうか。
彼の音楽は国際的だし、時代を越えている。そう反論する方もあるだろう。
 バッハの「音楽」が時空を越えていることは言うまでもない。けれど人として、職業人としてのバッハは、客観的にそして本人の意識のかなりの部分において、18世紀前半のドイツの、「音楽職人」としての立場をまっとうした。その背景には、当時のドイツの宗教的、社会的事情が横たわっている。
 バッハはその生涯の大半を、ルター派の教会音楽家として過ごした。バッハが生まれ、育ち、活躍したチューリンゲン、そしてザクセン地方は、ルター派の「牙城」と呼ばれた土地柄で、大都会から寒村にいたるまで、ルター派の信仰が浸透していた。一般の日本人にはなかなか想像しづらい世界だが、現地を訪れてみるとよく分かる。森に抱かれた町や村の中心に、町の「顔」の聳える教会。なかに入れば、きらびやかな装飾を嫌ったルター派の会堂ならではの簡素な空間が広がる。けれど祭壇の前から後ろを振り返ったら、息を飲むに違いない。豪華な彫像にもまさるとも劣らない壮大なオルガンが、鎮座ましましているのだから。

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バッハ一族のふるさと、チューリンゲンの森

 このオルガンと教会堂の関係こそ、ルター派における音楽の存在を象徴している。マルティン・ルターは、免罪符と称した資金集めをはじめとするローマ・カトリックの腐敗への批判から新しい信仰を立ち上げた。彼は、聖職者にしかわからないラテン語での典礼に代わって、母国語であるドイツ語で礼拝を行い、説教をした。また豪華な彫刻や装飾を通じて聖書の物語を伝えるのではなく、信徒にわかるように聖書にある神の言葉を解説し、音楽を通じてその解釈を伝えたのである。ルター派の礼拝において、音楽は決定的に重要だった。彼自身音楽の素養があり、賛美歌の作詞や作曲もしている。バッハのおびただしい数の教会カンタータも、《マタイ》《ヨハネ》の二大受難曲も、礼拝での用途に役立てるために作曲された。もちろんその音楽がすばらしいものだったために、礼拝を離れて一人歩きしてしまったわけだけれど。

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ハレ、聖母教会のオルガン(バッハも弾いた)

 バッハの生まれ故郷であるアイゼナッハは、バッハと宗教との関係を知るには最適の場所である。郊外の山の上に建つヴァルトブルク城は、カトリックの教義に反旗をひるがえしたルターが逃げ場を求めて隠遁し、新約聖書をドイツ語に訳したゆかりの城。さらにルターは少年時代、当時はカトリックの修道院だったアイゼナッハのゲオルク教会学校に学んだが、それからおよそ2世紀の後、バッハはルター派に改宗したゲオルク教会学校に入学している。つまりふたりは同窓生だった。音楽家の、それも主な仕事場がルター派の教会だった一族に生まれたバッハにとって、ルターが唱えた神の世界は、生活に密着したとても身近なものだったのである。

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アイゼナッハのヴァルトブルク城

<加藤浩子>
慶應義塾大学大学院修了。同大学講師(音楽学)。音楽評論家。

著書:
『バッハへの旅 その生涯と由縁の街を巡る』・『黄金の翼 ジュゼッペ・ヴェルディ』(いずれも東京書籍)、『さわりで覚えるバッハの名曲25選』、『人生の午後に生きがいを奏でる家』(いずれも中経出版)、『今夜はオペラ』(春秋社)、『バッハ名曲名盤を聴く』・『古楽への招待』(いずれも立風書房、共著)、『ようこそオペラ! ビギナーズ鑑賞ガイド』、『バッハからの贈りもの〈鈴木雅明氏との対談〉』(春秋社)他訳書:『西洋音楽史年表』(音楽之友社、共訳)、『コーヒーハウス物語』(洋泉社)、『「音楽家」の誕生』(洋泉社、共訳)他。その他、新聞・雑誌への寄稿、プログラム、CD解説等多数。


≪公演情報≫2012年3月15日(木) 19:00 紀尾井ホール
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詳しい公演情報はこちらから


posted by Japan Arts at 18:08| コンスタンチン・リフシッツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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