エフゲニー・キーシンの初来日は、25年前の1986年10月。
ロシア・ソヴィエト芸術祭の一環としてスピヴァコフ率いるモスクワ・ヴィルトゥオーゾ室内管弦楽団との共演、そして東京と横浜でリサイタルを行いました。
この時の日本での公演がキーシンの初めての西側でのコンサートであり、その来日中に15歳の誕生日を迎えました。
2011年10月3日に都内ホテルでエフゲニー・キーシン、デビュー25周年記念の記者会見を行いました。
来日直後に体調を崩してしまい、残念ながら10月1日サントリーホール・ガラ公演はキャンセルをしてしまいましたが、この日は体調も戻りにこやかに会見に臨みました。
「親愛なる日本の皆さん!また皆さんにお会いすることができて、とても嬉しく思っています。
早速、皆さんからのご質問にお答えしましょう!」“どうぞ!”と日本語で言い、会場を沸かせました。
協奏曲を今まで演奏しなかった理由について。
「今まで長い間、日本でオーケストラとの共演や室内楽のコンサートを行ってこなかったのは、2つの理由があります。まずは、僕が長く演奏できるということ、もう一つはコンサートの全てを自分自身で責任を持てる、ということです。しかし、今年は僕のデビュー25年のフェスティバルを開いてくださるというので、いろいろな面を聴いていただこうと思ったのです。グリーグのピアノ協奏曲は、たくさんある協奏曲の中からに“シンプルに弾きたい!”と思いました。
グリーグは僕の故郷ロシアでは人気があります。西側に住むことになり彼が正しく評価されていないことに驚きました。僕はこの作品を愛すべき素晴らしい作品だと思っています。先日、グリーグの住んでいた家を訪れる機会があり、多くのインスピレーションを得たばかりです。」
リストについて聞かれると。
「今回のプログラムは、リストの作品の中でも表現性豊かな作品を選んだつもりです。
しかし残念ながら、音楽を言葉で表現することはとても難しいです。音楽には言葉を超えた、言葉ででは伝えきれないことまで訴える力があります。
ここでロシアの小咄!ソ連時代に尊敬され、活躍した音楽評論家の話したことなのですが…。
ちょっと上手く説明できません!これはまた後で。とにかく、音楽を言葉で説明できません!
音楽の事を言葉にするプロの方たちが日本にも沢山いらっしゃるので、それはこういった方たちにお願いして。。。」
自身のピアニスト人生について。
「僕は11ヶ月の時にバッハのフーガを口ずさみ…と、幼いころから才能があると思われていたのですが、僕の両親は子供らしい生活、学業を大切にするよう、心をくだいてくれました。
25年、このように音楽活動を行うことができ、第一に神に感謝したいと思います。また神童と呼ばれ、活動を始めましたが、僕を愛情深く見守り導いてくれた両親、先生に感謝しています。」
震災が発生した時から心を痛めていたキーシンは、日本ツアーの出演料の一部を復興のために寄付いたします。また、東京で行われる【キーシン・フェスティバル2011】の3公演のチケット売り上げの一部は義援金として東日本大震災の被災地に送られます。
今回の記者会見はUstream配信をしており、アーカイブでその様子をご覧になれます。
※配信は一部映像と音声が途切れております。ご了承ください。
http://ustre.am/DuwZ
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