2009年11月12日

ブロンフマン来日直前特集[2]

≪ブロンフマンへの電話インタビュー≫
2009年9月20日 ニューヨーク。 インタビュアー:城所孝吉 

Bronfman_1_(c)_Dario_Acosta.jpg
Q:先日のルツェルンのコンサートを聴かせていただきました。どれもたいへん素晴らしい演奏だったと思いますが、私が一番感動したのは、シューマンの「幻想曲」でした。ブロンフマンさんというと、超人的なテクニシャンという一般的な印象があり、この日は「イスラメイ」などの難曲も弾かれましたが、シューマンではたいへん親密で緻密な演奏されていることに感銘を受けました。ブロンフマンさんの真実のキャラクターは、実はこうした叙情的な部分にあるのではないかとさえ思いましたが、ご自分ではどのように思われますか。
―――ありがとうございます。一般的な印象がどういうものか私にはわかりませんが、超人的なテクニックというのは、私にとっては二次的な意味しか持ちません。大事なのはそれぞれの作品の持つスタイルであり、私はそのスタイルにふさわしいテクニックを用いるだけのことなのです。常に音楽が何よりも優先されるべきなのです。確かにラフマニノフやプロコフィエフの作品の中には超絶的な技巧が求められるものもあります。でもそれはあくまでその作品の性格上必要とされるものであり、その作品を表現するために用いられるものです。でも古典派、たとえばブラームスといったレパートリーを弾くとなるとアプローチはまったく違ってきます。ですから、私にとっては私がどうであるかというよりも、そのとき私が何を演奏するのか、が大切であり、音楽(MUSIC)がその演奏のキャラクターを決めるのだと思います。

Q:日本でもシューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」を弾かれますが、シューマンの音楽の本質的な特徴というのは、どのような側面にあると思われますか。
シューマンを弾く上で、特に重要だと思われることは何でしょう(例えば彼自身は、フロレスタンとオイゼビウスというふたつの人物に、自分の音楽的特徴を見ていますが……)。
―――シューマンは本当にさまざまな異なる作品を書いた作曲家です。「ウィーンの謝肉祭の道化」もまた、「幻想曲」とはまったく異なるものです。
第一に、シューマンはかなりエキセントリックな人間だったと思います。ですから、まずそのエキセントリックな性格が表出しなくてはなりません。彼の音楽には奇異ともいえる幻想的な要素があり、それまでに誰も書かなかったような音楽がそこにはあります。しかし同時にそれらはとても古典的(クラシカル)でもあります。このような特質は「ウィーン…」においては顕著に見られ、ある意味でベートーヴェンに近いと言うこともできるでしょう。ここのところが「幻想曲」とは決定的に違うのです。ですからこの二つの作品にはまったく違う二つの世界を見ることができます。シューマンはとても実験的でもあったのです。ただこの作品の性格を考えるとき、これは確かに幻想曲に類別されるでしょう。「幻想小曲集」もそうです。
私はシューマンの音楽の持つ多面性が好きです。理解できたと思ったら、また違う一面が現れる。常に新たな発見がもたらされ、それに終わりがありません。そんなことの繰り返しが彼の音楽です。変幻自在な音色と限りない想像力、さらには先を見通す眼力といったところに魅力を感じますね。また彼はピアノに新たなテクニックをももたらしました。
ただし、彼の奥深く、内省にまで入っていくにはそれなりの時間がかかります。

Q:でもそれさえも楽しんでいらっしゃるようにお見受けしますが。
―――とにかく大好きですからね。シューベルトとシューマンは私が愛してやまない作曲家ですから。彼らの音楽は本当に深遠で、複雑です。

Q:ルツェルンでは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品27の1も演奏されました。これもたいへん緻密で、クリアーな演奏だったと思います。日本では、変奏曲作品32を演奏されますが、ブロンフマンさんがベートーヴェンの有名曲ではなく、こうした比較的地味で初期の作品を取り上げていることが興味深く思われました。ベートーヴェン、そして彼の初期作品は、ブロンフマンさんのなかで特別な位置を占めているのでしょうか。
―――まずベートーヴェンの作品はどの時期のものもすばらしいです。私は後期のピアノ曲や四重奏も好きですし、若き日のベートーヴェンの書いた作品も好きです。
ただ、それらは別世界と言っても良いほど違うのも事実です。初期の作品はハイドンやモーツァルトの影響が色濃く出ています。しかし同時に彼自身の個性も見て取ることができます。さらには自ら演奏することを考えていたため、ヴィルトーゾな要素も多々見られます。私は自身がピアノを弾くような、ピアニスト−作曲家に強く惹かれます。例えばプロコフィエフのソナタ、それも初期のソナタは彼自身が弾くことを念頭において書かれていますね。このように自分自身で弾くことを考えて書かれた曲はちょっと違うのです。別にベートーヴェンとプロコフィエフが似ているというわけではありません。
質問に戻りましょう。確かにベートーヴェンの初期の作品は好きですね。彼のピアノ・ソナタの中でも秀逸なものがあります。特に緩楽章の中にすばらしいものがあります。例えば作品10−3とか「悲愴」とか、これらの緩楽章は本当にすばらしいです。彼でなければ書けなかった音楽です。
Bronfman_2_(c)Dario_Acosta.jpg
Q:ブロンフマンさんは、プロコフィエフのソナタやピアノ協奏曲の演奏者として、広く賞賛されています。ルツェルンでもソナタ第2番を弾かれましたが、東京でも同じ曲が予定されています。しかし私は、実は正直を申しますと、プロコフィエフの作品というのが、あまりよく分からないのです。彼の音楽は、どこまでが本音で、どこまでがジョークやアイロニーなのか分からない感じがして、もうひとつ作品に入り込めません。ブロンフマンさんは、プロコフィエフの本質、真のキャラクターがどのあたりにあるとお考えですか。あるいは、彼の音楽を理解するコツとは何でしょう。
―――実は今回のプログラムでは、敢えてそれぞれの作曲家の若き日の作品に目を向けてみました。ヨーロッパではこれにブラームスが二十歳のときに書いたピアノ・ソナタを入れることもありました。つまり作曲家が若かりし日に自分で演奏することを意図して作曲した作品に焦点を合わせたのです。プロコフィエフのピアノ・ソナタ第2番は、先ほどお話した理由と同じで、プロコフィエフが自分で演奏することを考えて初期に書いたものです。
それに若くても既に音楽的には成熟したものがあり、十分に深みのある作品です。例えばソナタ第2番の第2楽章など大変に成熟しているだけでなく、洗練された作品です。さらにはソナタという形式は、当時は軽く、ユーモアをも漂わせるものでしたから、若さは何の障害にもなっていないでしょう。そして最終楽章は、悲劇、深みというよりもむしろユーモラスなものになっています。
彼の音楽の本質が見えにくいのは、多くのロシアの作曲家に言えることですが、その二面性にあると言えましょう。ひとつの音楽が二つのことを示唆、あるいは意味しています。なんといっても、これらの作品がソヴィエト連邦時代に作曲されたことを忘れてはなりません。彼はメッセージを込め、それらを伝えたかったのですが、それらが如実に現れてはならなかったのです。そこには常に隠されたメッセージがありました。そう、シューマンも同じです。シューマンの場合はクララとの関係を反対する父親に気がつかれないようにメッセージを隠してクララに音楽を捧げました。幻想曲の中には、クララへのシグナルが多く隠されています。ですからその音楽は二重構造を持っていたのです。そしてプロコフィエフとショスタコーヴィッチの作品もまた常に裏表の二面性を持って作曲されました。当局からわからないように彼らはメッセージを隠したのです。そしてそれがあなたの言う分かりにくさへとつながっているのでしょうね。
でも今回演奏する作品はとても古典的な作品で、わかりやすいと思います。とても素直な作品だし。

Q:今回の日本のプログラムの頂点は、チャイコフスキーの「グランド・ソナタ」になることと思われます。この曲は本当に大曲で、テクニック的にも演奏時間の上でも「グランド」という表現が相応しいと思いますが、決してポピュラーな作品とは言えません。チケットを売るという意味でも、必ずしも易しくない曲だと思いますが、ブロンフマンさんはそれを敢えて取り上げられるわけで、特に思い
入れ(取り上げる理由)があるのだとお察しします。どうしてこの作品を演奏しようと思われたのでしょう。
―――確かにこの曲はあまり演奏する機会に恵まれない、過小評価されている作品のひとつだと思います。でもすばらしい作品です。私はすばらしい音楽であるのにそれに値する評価を得ていないようなものを取り上げるのが好きなのです。みんなが演奏するような作品ではなく、みなが演奏しない、偉大な作品を弾くのが好きなのです。そしてこれはまさに皆さんに是非聞いていただきたいすばらしい傑作なのです。

Q:ブロンフマンさんは、ロシア(ウズベキスタン)で生まれ、ロシア・ピアニズムの伝統を継承される一方、アメリカに住まれて長く、現在では国籍も獲得していらっしゃいます。私の個人的な印象では、ロシア的な音色や響きの作り方をお持ちの一方で、音楽性はアメリカ的にインターナショナルというか、非常に洗練されているように思われます。ご自身では、ロシアのオリジンと、その音楽的伝統を強く意識されていますか。あるいはブロンフマンさんは、すでに「アメリカのピアニスト」であると自己理解されていらっしゃいますか。
―――音楽において、私は自分自身をひとつの国に限定してみることは決してありません。敢えて言うならインターナショナルな音楽家、といったところでしょうか。音楽性における国籍、あるいは特定の音楽的な伝統や様式を自分が背負っているとは思いません。私ならではの私らしい伝統、スタイルといったものはあるかもしれませんが、それは特定の国や文化に縛られたものではありません。私は自分の目や耳でじかに音楽を経験し自分の中でそれらの昇華したいのです。ロシアの音楽はすばらしいですが、私はそれだけでは決して満足できません。そして過去の音楽だけでも満足できず、現代、今、この時代に生まれてくる音楽にも大変強い興味を持っています。実際のところ、多くの現代の作曲家が私のために作品を書いてくれています。本当に豊かな才能を持った作曲家が現代にも多くいます。そしてこのような今の時代の音楽に触れることは、過去の音楽に新たな発見をももたらし、より良い演奏へとつながるのです。現代音楽を経験することで、もっと良いベートーヴェンが弾けるようになったと思うのです。
実際に作曲家と一緒に仕事をし、彼らの思考回路を学ぶことで、目を開かれたような思いをすることが多々あります。彼らの音楽を見る目は作曲をする立場からの目であり、私たち演奏者のそれとは違うのです。そして私はそんなところに惹きつけられるのです。生きた作曲家との対話を通して、過去の作曲家と出会うのです。
だから私の好み、レパートリーはとても広いものとなり、制約を受けないことになるのです。自分で枠を作るようなことはしたくないし、枠の中で収まるようなことはないのです。
Bronfman_3_(c)_Dario_Acosta.jpg
Q:私個人の印象では、ブロンフマンさんの現在の中核となるレパートリーは、ロシアもの、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスとなっているように思います。一方、近年はエサ・ペッカ・サロネンの新作コンチェルトを初演されるなど、現代音楽の分野でも熱心な活動を行っていらっしゃいますが、実は私が聴きたいと思っているのは、シューベルトの後期ピアノ・ソナタです。現在芸術家として円熟期を迎えていらっしゃるブロンフマンさんが、技術的にはそれほど難しくないシューベルトのソナタで、どのような音楽を聴かせてくれるのか、とても関心があります。同時にベートーヴェンのソナタも、より総括的に聴いてみたいと思うのですが、これらの作品を取り上げてゆくことは近い将来ありますでしょうか。
―――私はレパートリー、あるいはプログラム作りをするときには、そこに意義が見出せるものでなくてはなりません。プログラムを見ていただいてもわかるようにそこにはしっかりとした関連性があります。ベルクとベートーヴェンとか、ドビュッシーとバルトークとか、有機的で関連性のある作品を組み合わせるのが好きなのです。
シューベルトのソナタは弾いていますし、声楽曲を含めて室内楽はかなり演奏してきました。でもシューベルトはとてもユニークで特別な存在なので、それなりに時間をかける必要があると考えています。忍耐強く待っていただけたら、と思います。歌曲ではシューマンの作品も大好きですね。
ベートーヴェンのソナタ全曲、あるいはベートーヴェンの作品だけで組み合わせてプログラムを作り、演奏したい、とは思いますが、具体的には申し上げられる状況ではありません。

Q:最後の質問です。ブロンフマンさんはフィリップ・ロス(Philip Roth)の小説「The human stain」に実名で登場し、そこで「ブロントザウルス」と呼ばれています。これは必ずしもお世辞とは言えない表現ですが、この作品を読まれましたか。そしてロスがそこで書いていることが当たっていると思われましたか?
―――ええ、私の友達がその小説を読んで教えてくれて、読みました。それを読んだ方がいたということも驚きですし、私が小説に取り上げられたことも大きな驚きでした。(笑い)

今日はお忙しい中、お時間をありがとうございました。
―――こちらこそありがとう。そして日本に伺うのを今から楽しみにしています。

ブロンフマン来日公演情報



posted by Japan Arts at 12:28| イェフィム・ブロンフマン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。